研究所再開

madam-cricket2008-07-15



カブトムシのママ、すなわちこおろぎの義理のママは
ファッションデザイナーから転身して料理研究家になりました。


それはそれは美しく
迫力のある
あんなに華のあるマダムは北海道にいなかったと思う。
世が世なら某華族のお姫さまだったはずだけど
時代が変わり、
外務省に勤める父上の仕事で外国で育ったせいか
なにもかもちょっと違っていた。
義父と結婚して北海道へ。
言葉も風習も違う中で
悩んだ末、独自のデザインクックという領域を作った。


今から40年以上も前のこと。
そのころ
料理をデザインするなどという表現を誰がしただろうか。
日本料理を極め、全国の著名な料理界の重鎮と仕事をしてきた彼女は
しかし、「家庭」を大切に考えていたわけで
パーティーという言葉も、彼女には当時から身近かだったのでしょう
西洋料理にも精通していた。


デザインクック料理研究所というのは
辻クッキング札幌校開校初代の校長に抜擢されるまでの義母のお城だった。


昨夜、バタバタの中、こおろぎのアトリエに一人の料理人が来た。
大きな箱を二つかかえ、
各種しょう油、みりん等が並んだ。


エコール・ド・フルールに新風を!
新進気鋭の和食の料理人が応援に参画。
こおろぎとのコラボはスタート。
噂をききつけたこおろぎ一家の主治医と某老舗の若旦那が試食役。
作る料理人、走るこおろぎ。


なぜこおろぎが走るかといえば
アトリエの構造上仕方ない。
一階から三階まで3箇所のキッチンにすべてが分散。
ただただ走った。

ザル、ボール、ミキサー、あれ、これ、それ、どれ・・・
行ったり来たりの大騒ぎでした。


反省点は残しながらコラボ試作会は終了。



こおろぎ、目からウロコが山のように落ち、
驚愕。
あの手際、あの潔さ、アバウトさ、キレイな作業、
咄嗟の計算、見極め方・・・応用力・・・


さ、エコール・ド・フルールのおもてなし塾に新風です!


ただし、準備に比べて、料理ができる速さがスゴイ。
このこおろぎが瞬きしている間に出来上がっていたものばかり。

え?
あら?
ウソっ!

何度叫んだか分からない。


問題は生徒さんたちはもっと慌てるに違いない。
いかにわかりやすく「見せる」か、「ご理解いただくか」
が課題。
先生、ちょっと止まって・・というのはありえない。


ま、仕事って全部そうですね。
準備が99%かも。仕上げは1%。


学び続けることが大切だと改めて思った夜でした。
カブトムシのママが描いた夢を
そろそろ実現するときがきたのかもしれません。


「ミツコチャン、家庭よ、家庭、ママの味が大事よ」
「ミツコチャン、本物よ、本物、本物知らなきゃね」
「ミツコチャン、動くことよ、働くことよ」
「ミツコチャン、厳しく、指導は厳しく、片付けまでしっかり指導よ」
「ミツコチャン、着ることも喋ることもみんな大事。それから食べるのよ!」
「ミツコチャン、夢よ、夢、料理をデザインするのよ、生活全部をデザインするのよ!」



病床にあっても
彼女は実に美しかった。
亡くなる前夜、
「ミツコチャンの口紅いい色ねえ、貸してちょうだい」
そういってディオールの明るいピンクの口紅をつけた。
看護婦さんたちがその美しさにみな驚いた夜を思い出す。


彼女が闘病した夏から10年目、
私に不思議な力がわいている。
昨日も義母が残した夏懐石の器や蓋モノを使った。
古い器が重厚で誰もがうなった。


デザインクック料理研究所
2008年パリ祭りの夜、
再開しました。


写真はお祝いにいただいたシャンパン。
極上の品でした。