桜の日

madam-cricket2008-05-04

18年前の5月4日、父は亡くなった。
今日は臨終だから、しっかりしろ、と朝、母と私に言った。
この父の立派な最期は、もう何度も何度もあちこちで話したり
書いたりしてきたけれど
思いだせばだすほど立派だった。


桜のころ、桜といっしょに散るからね、と言ったとおり、
父は満開の桜の日、逝ってしまった。
父の病室で5歳の誕生日を迎えたキキに
「おかあちゃまみたいな人になりなさい」と言い残した父。

「おかあちゃまみたいな人・・」って、
パパ、どんな人なんでしょうか。キキのおかあちゃまである私自身が
ずっとわからずにいます。
わがままで、だらしなく、意思も弱くて怠け者で
お茶碗洗うのも、掃除も下手で、事務仕事もできず
無駄遣いの天才で、衝動買いも名人、家中散らかしても平気だし
気は短いし、喧嘩っ早いし、自分に甘く他人にきびしいし、
仕事といってもこの程度だし、何様にもなりえていないし・・



18年ずっと
「おかあちゃまみたいな人」ってどんな人を言ったのだろうか、
父が最期に見たであろう私の将来、ってどんなだったのだろうか
と考えつづけています・・・


父を亡くして2週間で離婚。
その後、大事件に巻き込まれながら
ある日、カブトムシに会って再婚。
父を亡くして7年後、大学に復帰。
博士号取得に悪戦苦闘の6年をすごす間、
札幌、広島、函館と生活と仕事の場を広げた。
東京にも力強い拠点もできた。



でもパパ、元気だったら84歳のはずのパパ、
私はこれでいいんでしょうか。
あのころ、私はモノ書きになりそうな気配がありました。
書いたものが活字になるととても喜んでくれていましたが
今、連載も書いていますけれど、
これでいいんでしょうか。

農学部の大学院に進むとき、大反対したけれど
結局修士号とって北大に戻ったときはとても喜んでくれました。
失敗を繰り返しながら歩いた私ですが
パパが大反対した結婚は案の定破綻して
やっぱり学者と結婚して、彼の勧めもあって
40代後半、家政学で博士号をとりました。
パパ、これでよかったんでしょうか・・・。




大学で教えています。
自分の理想の学校も運営しています。
これでいいんでしょうか。


パパが「キキは全く心配ない。おもしろい子だ」と最期の日記に書いてくれた
キキは、本当に心配のない、おもしろい23歳になりました。
そしてパパが逝ってから生まれたコロ介は
とてもパパに似ています。目元も表情も
パパにそっくりです。
歌って踊って明るく元気な16歳です。パパが生きていていたら
どんなに彼女に笑わせてもらえたことでしょうか。



ママは元気です。
このあいだまた麻雀教室の大会で大三元で第一位。
天才ママと呼ばれているようです。84歳で現役の主婦役を勤めてくれています。
ご飯のしたくも庭もなにもかもママです。
相変わらずきちんと和服を着て暮らしています。


カブトムシはパパとどこか似ている学者です。
いつもこおろぎの強さにおびえています。
パパが元気なら、毎日どんなに楽しくカブトムシ相手に
生物学の話、歴史の話、地理の話、音楽、小説の話を楽しんだでしょうか。
池波正太郎をこよなく愛するデッカイ奴です。



桜の散る頃、さて、私はこれでいいのか、と
考えないではいられなくなります。
考えても、答えなど出ないので
またせっせと1日1日、これでいいのかしら、これでいいのかしら、と
歩くだけなんですけど・・・


もっと生きたかったに違いないパパの分も
健康に気をつけて、ゆったりと優しく生きていきたと思います・・・。


「臨終だけど、泣かずに、しっかりすごすんだよ・・」と
いう声が耳にのこっていて
18年たっても
ちゃんと泣けないのです。涙はあふれるのですが
父の死は認められずにいるのです。
「赤い服が似合うね、いつもちゃんとしているんだよ」と、
そうも言いました。
だから私、喪服を着ませんでした。
「着ること」をテーマに博士論文も書きました。


ちゃんと生きよう

そう思うだけです。
それが1番難しいのですけれど・・・。