再会

madam-cricket2008-04-23


予定が大きく変わった日、それでも忙しく動いて
いつもは歩かない時間に
大通り公園を横切ろうとしていたとき、


向こうから紫色の美しい髪の女性が
紫のストールを手に歩いてくるのが見えた。


「先生!」


こおろぎの大きな声は交差点にも大通り公園にも響いたと思う。

「なに?どうして?あなた、今までいったいどうしていたの?どこにいたの?」


いけばなの師匠との20数年ぶりの再会だった。



大学時代、弘前でよい師に恵まれ、こおろぎは生け花に熱中した。
この先生については後日詳しく書こう。
大学院を終えたとき、「三津子さんはきっいい指導者になれるから
すぐに教えなさい。そのかわり、札幌でよい先生にご指導いただくのよ」
というアドバイス
その言葉を守り、札幌にもどって北大で学び、高校で生物を教え・・という
大忙しの中、北海道を代表するS先生の門をくぐった。
週に一度のお稽古の日は朝早くから夜遅くまで先生のアトリエで
材料が細切れになるほど花と取り組んだ。
大きな展覧会にも何度も大作を活けさせていただいた。
途中でフラワーアレンジメントに手を伸ばして、諸先輩のご心配やご忠告を
いただいたりもした。今では当たり前のことも、
30年近く前には通用しないこともあった。


が、なんであれ、どうであれ、
こおろぎの基礎はS先生が厳しく厳しく作ってくださった。
その先生、今年米寿を迎えるとのこと。

お会いできなかった年月の長さに震えた。

「広島に行ったと聞いたけど・・」
と言われて、言葉を失った。
それほど長く私は先生と離れていたのだ。


いつもの年より10日も早く咲いた桜が
すでにヒラヒラ散り始めた大通り公園で
紫色の先生と相変わらず真っ黒いこおろぎは
立ったまま空白の時間を大急ぎで埋めた。


きっと近くゆっくりお会いすることをお約束して
お別れした。
先生はこれから会議だと、足取りも昔のままむかえのビルに消えた。


秋には東京で個展をするとのこと、
「あなた、手伝いなさいよ!」
そういう声は昔のままで
「はい、きっと!」と
私も昔のまま答えた。


この道を歩く予定ではなかった日、
その道で恩師に遭遇した。


かつて
個人的にお会いするはずのなかった
料理の師匠に
なぜか引き寄せられるように会って
そのひとり息子とあっというまに結婚したのがこおろぎである。



こんなことを運命と人は言うのかもしれない。


「ねえ、私幸せなのよ、息子も夫も亡くしたけれど、
でもねえ、好きなお花を続けていられて、私幸せなのよ」
と師匠はいい、
「あなたの基礎、叩き込んだのは私よ!」と
勢いのある声で笑った。
「思い出すわねえ、あなたのお花、竹が好きだったわね、
あの時も、あの時も、あの時も・・・」


驚くほど鮮明に先生は私が展覧会でいけた大作を
覚えていらして
私は涙を抑えることができなかった。
それが師というものなのだろうか。


先生、私は今も竹が好きです。
去年は尾道でお弟子さんたちと竹の大きな作品をいけました。
それは由緒あるお寺の境内に光を浴びて輝き
多くの方がたに褒めていただきました・・・・

そういいたかったけれど言葉を飲んだ。
それはまた、ゆっくり・・・。


会うべくして会った師匠、
この再会でこおろぎの何がどう変わるのだろうか。
桜の散る公園を歩きながら
30年という年月、そして独立して23年という年月の
重みと意味を考えずにはいられなかった。


そのあと古い友人にばったり会って
香り高い珈琲で ひとときを過ごした。


明日の仕事の花を探して訪ねた店で
今日の写真の作品に遭遇した。

キバデマリとオクラレルカを買い、
店員さんとお喋りしていたら
若社長がいつもの笑顔で話しかけてくれた。
「これ、ご覧いただけました?」
彼の笑顔は本当にいい。
いつだって穏やかでいつだって優しい。
ウインドー越しに拝見したときから、気になっていたと伝えたら
嬉しいです、と少年のように笑った。
この作品でジャパンカップの北海道代表になったとのこと。
やっぱり!
人を惹きつけるものには本当に不思議な力がある。
写真を撮っていいかと聞くと
「どの角度がいいかな」と
わが子を眺めるように優しい目をして
きっちり詰まったミスカンサスの表面を撫でた。
2週間も経つのだとういうけれど
凛とした水揚がり。
これはブーケなのだ。


全国大会は大阪とのこと。
見に来てください!といわれて思わず「ハイ!」と私。

ジャパンカップの応援と師匠の東京での個展、
こおろぎは忙しくなりそうだ。


光る人は美しい。
花に魅せられた輝く二人に出逢った、
意味深い1日だった。