師の言葉

madam-cricket2007-12-04


いい師匠をもつことは幸せなことだ。
講演のあと、控え室に行くと、なかなかガードが固かった。
当然である。
どちらの荒井様でしょうか?
聞かれて大学の名前を言ってから
「日高先生の内縁の弟子です」と答えた。
これは昔から私の肩書きである。
先生が東京農工大学の教授のとき
弘前大学に特別講義にいらした。
その頃、今日か明日かと退学届けを出す日を考えていた私は
たまたま誘われて日高先生の講義を聞きにいった。
その1時間で人生の方向が変わったのだ。
その後先生が京大に移られ、大学院は京都に、と考えて勉強したものの
諸種情況が揃わず断念。そのまま弘前大学の大学院に進んだ。
したがって弟子だとなのるのは許されそうもないが
以来ずっと私の人生の道案内が先生であり、
40歳を過ぎてから再び挑んだ博士課程では
その大学を選定してくださり、博士論文の審査を引き受けてくださったのが
日高先生だった。
30年以上、道を示してくださっている先生が私の師匠でなくてなんだろうか。


いろいろな角度から私は「内縁」の弟子なのである。


その師の久しぶりの対談形式の講演は刺激的だった。

お化けはいないと言い切られた。
愉快である。
スピリチュアル云々に関しても、茂木健一郎さんとともに
明言を避けつつも、「正解」を語らえたと思う。


イリュージョンという表現で、
説明できない、あるいはしたくない現象を
軽やかに語られた。
もう一度言う。愉快であった。


明解で、柔軟で、
力まず、しかも正確であることは
難しい。
満々の自信を誇示することなく
さらりと語る知力と歴史。
こおろぎの師匠は70代後半にして
最高にカッコいい。


どんなに忙しくてもやさしい。
どんなに多忙でも時間を作って楽しげである。


日本には稀有の学者だと思う。


30年前、フランス語を学べと言われたのに言うことを聞かなかったことを悔いている。
だが、
女であることを捨てずに学問をしろ、という師匠の教えは守ってきた。
派手な格好や赤い爪や、楽しげな暮らしぶりが
どれほど批判されても
やるべきことをやっていればそれでいいと
そして、楽しそうな外見や行動をけして
失うなと、20代のはじめ、先生は私におっしゃった。
そのことの意味が今わかる。


どんなに非論理的だといわれても
想像力を忘れるなといわれた言葉に支えられてきた。



「弟子?あ、札幌から来たの?うれしいなあ」
先生は満面の笑顔だった。


私の学問はかつて昆虫学を学んだころと大きく変わった。
だから先生の門下にはすでにいない。
だが私は日高流の教育をもしかしたら実践しているかもしれない。
先生の講義を聞きながら、僭越ながらそんな気がした。


学問は楽しくなければいけない。苦しいのはまとめる一時であって
そのプロセスは楽しくなければならない。
考えるプロセスが幸福であればあるほどまとめるときは苦しい。
それが多分学問なのだろう。


平易な文章は気取らないお人柄のままである。
やたら難しい文章を書く人がいるが
100%、おもしろくない人間である。



さて昨日の問題。
キキが新丸ビルで自分自身に買ったものは?というクイズですが・・
(誰に出したクイズでしょ)
答えは、うっ・・・
大きなゴミ箱でした。


写真撮っておけばよかった。
彼女、ずっと素敵なゴミ箱探してたというけれど
そんな感動するようなゴミ箱じゃないのになー
バケツ大の砂利のプリント柄のビニールのゴミ箱。
とにかくデカイ。キキちゃん、それ持って飛行機に乗るの?
と聞くと、中に何でも入るじゃん・・というのが答え。
実に嬉しそう。多分札幌にも売っている。
だが彼女にとってはめぐり合ったときが買うとき。
これもまた私のDNAか。
怪しすぎるほど大きく、重い木々を抱えて札幌と東京を往復している
私が彼女に意見は言えない。ホント、遺伝は怖い。環境も怖い。


講演会のあと、美人事務局長とキキと夕食。
新国立美術館のポールボキューズ。閉館している美術館で営業している。
なにもかも新鮮。黒川紀章さんの作品に包まれる幸せもあって
素敵な時間だった。


大きな写真はキキとランチした高輪のパブ。
隣に座ったトロントから来たという青年の話が楽しかった。
キキ、大いに刺激を受けていた。
狭い店だが、心地よい。「賑わい」研究にはもってこい。
函館の店はどこも広すぎる。狭い店に大勢のスタッフがいて
上手に仕事している店が都会には多い。食空間の調査に一眼レフの
カメラを買ってもらった以上、頑張って分析しなければならない。


コロ介が体育で跳び箱から落下。ちょっとした騒ぎになった。
今日午後学校に行って事情を聞いてきた。多くは語れない。
だけど、飛び箱の上で前周りするって、人生のどこで必要だろうか。
逆上がりってどの場面で必要?
歩くとか走るとか泳ぐとかってのは
絶対に必要だけどね、
跳び箱の上で開脚前転って、どの場面で必要?
森光子なら舞台で転がるだろうけど。


微分積分、数Ⅱ数Ⅲは役立ちますから。
数学は何を考えるときも使いますから。
恋をするときも、姑と戦うときも、上司を告発するときもである。

だけど跳び箱と鉄棒はどうなの?
だれか教えてください・・・
(きっと書き込みあると思う・・・)


というわけでコロ介が脳外科で検査されて
1つ余計な悩みが生まれたけど
本人元気。

これでアホがもっとアホになって
高校落っこちたらどうする?と聞いたら
「宝塚も今からじゃ無理だからなー、ホグワーツ魔法学校かなー」だって。


やっぱりかなり頭打ったらしい。
顔もむくんでるし全身腫れているように見えるが、
これは跳び箱から落ちる前からだと保健室の先生はおっしゃった。

ふーん、そーか。ホグワーツ魔法学校から北海道の大学に進めるものだろうか。
こおろぎに悩みは尽きない・・・。