終わらない旅

朝食の席でコロ介が言った。
北大って日本一儲かってるんだってよ・・・だと。
そうなの?
独立法人になって儲かったって、ホントかしら。
お給料になにも影響のない話に関心のないこおろぎだったけど
学問の場が元気になることはとてもとてもとってもいいことなのは間違いない。



昨日大学のあと日暮れまで図書館にこもっていた。
あああ、学生のうるさいこと。知らない顔ブレだから
ヨソの学部の学生諸君、注意する気力もなく耐えてみました。
身体に悪かったなー。次回は我慢しないことにする。



縁起、について考え始めているこおろぎは
とうとうドツボにはまってさあ大変、ドジョウもでてきてコンニチワ状態に陥った。
民俗学という深淵、宗教学という深い闇、陰陽五行も古代史まで
両手両足とられそうになっている。
だけどね、造花という作り物の花への大きな抵抗の理由も見えてきそうで
思わぬ副産物もどっさり得られそう。お墓に造花、ってありえないでしょ。
仏壇に造花、ってのもないでしょう。
おもしろいことは世の中にたくさんある。
人にモノを贈答するとき、手渡すのに、どうしてお賽銭は投げ入れる?
お金を投げるなど考えられないでしょ。
建築のタテマエのときとか、お祝い事、節分なんかで投げ餅だの
投げ菓子だの、不思議でしょ。無礼よね、本来。
それにねえ、きれいな水を見たら思わずコインを投げ入れたりするでしょ、
これ、不思議よねえ・・。

そんなこんながちゃんと説明されてたりするから世の中って凄い。


ドツボのはまったこおろぎに、こおろぎの生徒さんたちは道連れにされるわけだけど、考えることがいかにたのしいか、そこのところをごいっしょいただきたい。
花でも料理でも学問でも、おもしろいのはエンドレスの作業だということなわけで、終わらないという、ゴールがないという、そこの魅力なわけで・・・


言ってみれば宇宙を見ているようなものなよ。

本放送と再放送で数学者ペレリマンの番組を見てしまった。
ポアンカレ予想という世紀の難問を問いた若い数学者の話。
大きな賞を辞退して、世間から消えた若い学者。
胸が一杯になるストーリーなのだけど
彼は解明までのあいだどれほど幸せだっただろうかと想像して
いっしょにときめいてしまった。
難問は解いたのに、彼は何かを完全に失ったかに見えるけれど
何かを考える作業は宇宙を見つめるのとおなじ、最高の喜びなわけで・・・


世界中の学者を唖然とさせた彼の解き方に拍手。彼の手法を理解できなかった
トポロジー専門家たち、お気の毒様。学問は学際的であるべし。


花のデザインも、料理の手法も、
攻め方変えたとき、不思議な魅力を発揮する。


ああ、エンドレスの人生、これぞアンチエイジングじゃないの?

さ、ゴミも出したし洗濯も終わったし、これから
朝一番で今日も皮膚科で注射していただこう。
何かと心労はあるけど
仕事しながら日本人と花、日本人と器、日本人と縁起・・考えよう。
ちょいと知的なこおろぎの朝です・・・。これもポアンカレ予想の解明とハレの清浄性、ケの世俗性、さらにケガレの概念に打ち震えた昨日のおかげ。
この感動の連続性が生きるエネルギーなのよ、絶対に・・・。

写真は鯖。鯖だってさあ・・こうやってクシに刺して焼けば
丸い手付きの器にかっこよくおさまるわけよ。
見方、手法、発想の変換。これよ、これ!秋サバに学ぶわねえ
秋サババンザイ!