学ぶということ


注射は続き、投薬も続き、慎重な生活は続いているものの
こおろぎはいたって元気。
見た目は、これまたちょっと不満なのはね、「まだ赤い」だの
「まだ黒い」だのという批評。なんども言うように、ジンマシン以前からの
シミシワタルミですから!

テレビも無事終え、大学も復帰。この冬の研究テーマもちょっと具体化してきた。
こおろぎが病みあがるのを待っていたかのように、
周囲が、こおろぎの背中を押してくれたり、手を引いてくれたり。


エコール・ド・フルール、23年目の秋、なんだかあちこちで素敵な動き。
あらためて思う。人間一人では何もできない。

生活と文化、そして優しい暮らし・・そんなのを実践できる力を応援する
教室展開ができたら本当に嬉しい。


さて、亀田さんちのパパとボーイが頭を下げていました。
あああ、なんだか悲しい。

ネクタイしたらよかったわね。
です、ます、ってちゃんと言うべきだったわね。
頭を下げたらせめて5秒は下げているべきだったわね。
周囲より早く頭を上げたり、その場を去ってはいけなかったわね。
でもすべて、学ばなかったことができないだけだと思うと
悲しさだけが残る。
とりあえず、だの、しかたがない、だのとい日本語しか駆使できない人に
何を求めたらいいのだろうか。
頭を丸めることで何がどう許されるのだろうか。
ボクシングファンのこおろぎは悲しいだけです。


それにしてもなー、日本のマスコミ、記者さんたち、本当におだやかで
やさしくて驚愕だった。かつて卓球の愛ちゃんが中国で受けた辛らつな
インタビューは記憶にも新しい。
本当のことを聞く場なのに、記者側の品だけがよくて
なんの棘も刺さず、もったいないなーと思う。
沢尻エリカさんの独占インタビューのときもそうだった。
どうして「相手の立場」になって持ち上げたらり、
「うーん、分かる分かる・・」みたいな態度で聞いてしまうのだろうか。
亀田さんの会見だって、記者の力量でどうにでも意味ある場面にできたのに。
残念。


学ぶということはそういうことなのだと思う。
学ばないことはできない、ということなのだ。
なにかができるために、学ぶわけで・・・

当たり前だけど、亀田さん見てて本当にそう思った。
知らないことはできないわけです。
知らない言葉は日本語でも使えないし、
知らない礼儀もできないし、
知らない行動もできないだけです。


ある日突然、手にした花を、本当に素敵に水に挿すことができるのも、
求められる花をデザインできるのも、いつかコツコツ学んだことが
引き出しに詰まっているからなわけで

やっぱり学ぶことって素敵です。
知るを知る、のが何よりだわね。

それにしても、勝ったチャンピオン、北海道の人?
スキージャンプの原田さんにそっくりの日本語を話すのが驚き。
あの人のよさそうな雰囲気、北海道の特徴ですか?
こおろぎの周りにはいないなー。


学び続けることはエネルギーを生む行為。
最高のアンチエイジングかもね・・・
今日も1日、朝から ただただバタバタ、こおろぎは羽ばたいています!