エミエミのノート


とうとう掃除片付けが本格化。立派すぎたり、高齢すぎたり、高額すぎたりするお手伝いさん候補ばかりなので待ちきれないこおろぎはみずからがお手伝いさんになればいいと気がついた。

開かずの納戸に着手。
そこで発見されたのは15年前コロ介が生まれた時とどいたお祝いのカードとか、新聞記事(こおろぎのインタビュー記事だけど、歪曲された内容だった・・)に来た抗議の手紙とか、こおろぎが中学時代から使っていた電気スタンドとか、古い毛皮のコートとか、亡父の洋服とか・・・。悲喜こもごも。


その中にどっさりレシピノート発見。
連載の写真と内容を考えていたときだったのですぐ撮影して明日の函館新聞の暮らしのパレットに大急ぎで感動を書いた。
カブトムシのママのノートである。

その中に「カブトムシ君に残す」という一冊があった。
秋のページには「おだんご(みたらし団子)」花は萩とすすき
と書いてある。
何年にも渡って思いついたら書いたのだろうと思う。
器のこと、花のこと、行事のことが断片的だけどびっしり。


胸がいっぱいになった。
一人息子に残す・・という思いは、そのまま
「三津子ちゃんに残す」という文字に見えた。
「コロちゃん、キキちゃんにも残す」とも読み取れる。


新聞の連載は次回も「母のノート」として続編とすることにした。
「なまり節と焼き豆腐の煮物」には落とし蓋必要とある。
「春は100グラムの京ぶきの青煮を添えると美しく季節感がさらに春らしくなる。」と添えてある。


こおろぎは衿を正して自分の仕事を再確認したのは言うまでもない。
暮らしを楽しむということはこういうことだ。
これが本当の食育なのだ。
気負わず、普通の暮らしの普通の食卓の美学。そしてそれが一番
体に優しい。


開催されなかったまぼろし東京オリンピックでは水泳の日本代表だったカブトムシのママ。某名家のお姫様だった恵美子ママ。東京で服飾デザイナーから料理本編集室を経て辻クッキングスクール札幌校校長として活躍。その後きものデザイナー、老いを明るくする会の会長として人生を謳歌。美貌と華かなファッションでも有名だった。


子連れの三津子ちゃんを嫁に迎えた時、
5歳のキキを抱きしめて
「キーちゃんは今日から荒井さんのおうちの大切な大切な子供ですからね、
おばあちゃまとおじいちゃまがどんなことをしても守りますからね」と
キキが悲鳴を上げるほど抱きしめた。



そんなすばらしい義母は豪快な辛らつさでも有名だった。
「カブちゃんはアンティークが好きなんだけど、お嫁さんもアンティークだわ!」とは敵ながらあっぱれだった。
「三津子ちゃん、あと身長が10センチ高くて、色が白くて、髪が縮れてなくて、目が切れ長だったら人生変わってたのにねえ、残念だわね!」と、会うごとに言ってカラカラと笑った。
「もしそうなら、こんなところにお嫁にきませんでしたから!」と
そのつど逆襲にでてたこおろぎも立派だった。


おろおろする義父とカブトムシもおもしろかったっけなあ・・・

鬼嫁伝説、鬼義母伝説もこと欠かない。
ヒスイもダイヤもビーズも全部まとめて色別に保管。
玉石混交だが、好きなモノが「いいもの」だった。
お金ではなかった人だ。

以前から思っていたことだが
彼女の仕事をなんとかまとめて発表しようと思う。
これがキキに残すレシピ集にもなるだろう。


カブトムシのママをシスターズはエミエミと呼んだ。
エミエミが亡くなって9年。


チキンサラダのドレッシングに
サラダ油大匙8
酢   大匙4
塩   大匙2/3
練り辛し小匙1
隠し味・砂糖一つまみ

とある。とり手羽肉一枚に塩、酒をふりかけて蒸してさまし、
細く裂く(40グラムぐらい)。
セロリ、キュウリの細切りとドレッシングであえてサラダ菜を添える。


シンプルなサラダ。

エミエミの味になるのだろうか。


ノートのほかに、何千というレシピカードが出てきている。
使えないような古いレシピや面倒なものもあるが
すこしずつ整理しよう。

昭和43年のノートは昨日1日見ていたらもう朽ち果てそう。
大事に補修して使わなければ。
昨日はHTBイチオシだったがその休憩時間もノートみながら
感動に震えた。
さ、今日土曜日はお昼、三角山放送局
「マダムこおろぎの不機嫌な食卓」
ここでも古いレシピのお話をしようっと!