ちいさな幸せ


楽しいレッスンだった。
写真は左側から撮ったも。2種の「ちらし盛り」なので右上と左手前に盛り付ける。
日本のバランスはやっぱり美しい。


午後はキキと待ち合わせ。明日までに12月からでかける旅行の費用を振り込むのに、お金が足りないとの相談。この私にお金を借りるなど無謀だけど、驚くほどの小額なので快く貸すことにした。その小額にも困る生活なのに猛烈に楽しそう。いいねいいね、若いっていいね。



昔こおろぎが通った珈琲屋でキキとひと時。母娘で珈琲にハマって久しい。
彼女との距離感も嬉しい。一人で暮らすようになって猛烈に素敵になった。
相変わらず不細工だけど、いい奴だわ。で、思ったわね・・・こんなふうな22歳になるとは想像したことなかったなあ・・・って。子育てに設計図も予定表もないんだなってね。


おなかが大きいとき、ほとんどの妊婦さんって、自分が産む子供はお人形みたいにかわいいと思ってるんじゃないかなあ。遺伝のおそろしさなんて考えもせず、
自分が理想とする可愛くて賢くて思い通りになる子供だと想像するのが普通かも。


でも違う違う。キキは生まれた瞬間、にっこり笑っていた。髪がふさふさして
なんだか笑っている顔だった。「この赤ちゃん笑ってる!」とみんなが笑った。
キキちゃん、あんたはそんな風に世の中に登場したのよ・・。


その瞬間、私は私とはぜんぜん違う人を生んだんだなあ・・・と漠然と冷静に思った。予想とは全く違ってカワイイ顔でもないし、髪の質もちがうし、でもニコニコ笑ってるし・・。
さ、この人と二人で生きていこう、さて、いつ離婚しようかなあ・・・というのが分娩台で一番先に考えたことだった。思えばたくましい瞬間だった。



その後5年間、私とキキの生活はナカナカおもしろいものだった。子育ては100%手を抜いた。ベビーシッター、両親、保育園・・・あらゆる方に手伝ってもらって野放し。こおろぎは絵本も童話が嫌いなので、いただいた絵本しか与えず、本の読み聞かせなどするはずもなく、公園に連れて行く時間もなければ、文字のひとつも教えず、ひどいものだった。彼女の将来のことなど考える余裕などなかった。



だがキキは一文字ずつ、新聞を切り抜いて「これなんていう字?」と聞きに来る子だった。「ご本はおもしろくないからキキちゃんが作ることにした」と楽しげに本を作る子供だった。勝手な母に全く頼らずたくましい子だった。この子に負けられないわ、と励まされるこおろぎだった。


その後、カブトムシと結婚して広島県に移動。こおろぎ自身の生活が変わったころからキキの将来を考えるようになったけど、さて基本的に生物屋のこおろぎは
遺伝を超える能力が娘に発現するとはどうしても思えず、時間つぶしのようなピアノのレッスンをさせた程度。ただ職業をもつ女性になれよ、という洗脳だけは続けたような気がする。いつでもだれとでも暮らし、そして別れる力を持つと強いよ、というのは母の経験からだった。キキ小学校4年のときこおろぎはふたたび大学院に入学。このことは彼女になんらかの影響を与えたかもしれない。



思い切り手抜きの子育てだったけど彼女はたくましい22歳になった。
相変わらずかなり奇妙な発想と言動が目立つけど、家以外の空間では大きなご迷惑もかけず、おどろくほどたくさんのお友達の中で泳いでいる。幸せなことだ。


珈琲屋のあと、すすきののハンバーガーショップへ。異空間に驚嘆。キキと一緒じゃなきゃ怖くて入れないような空間。訳あり風のご老人が一人で新聞読んでたり、ひたすら何か書いているご高齢者がいたり、熟睡してる奴、勉強してる学生グループ、怪しいご商売していそうな異国のグループ、明らかに危なさそうな方がた・・。タバコに燻されながらそれでもキキの話がおもしろくて時間を忘れた。実に全く、若い人の世界はおもしろい。夜は英語教室のあとバイト仲間と300円均一のお店でコンパとのこと。札幌市内を自由自在に自転車で飛び回る。
なんて楽しそうなんでしょ。それでも9月は一ヶ月間びっしり大学は試験。
実によく学ぶ。偉いっ。「カーマもがんばってね!」なんていわれてすすきのの交差点で別れた。「ごちそう様! 忙しいのにありがとね!」という声も背中に聞こえた。こおろぎの幸せってこんな瞬間なのかもしれない。




注)不細工シスターズはこおろぎのことを「オカーマ」とか「カーマ」と呼ぶ。
おかあちゃまの省略形。孫が生まれたら「コーロギ」と呼ばせよっと。