こおろぎの卒業


コロ介の衝撃の日記はなぜか好評。おもしろくないわ・・・。


そのコロ介、こおろぎの日常を暴く余裕がなくなり、放置していた宿題に追われて真っ黒い顔が青くなってきたので、コロ介日記は今日はお休み。


書きそびれていたことを記しておく。

11日、ファーブル昆虫記のファーフル展の講演会にいらした日高敏隆先生の講演会があった。お会いするのは2年ぶりか。京大を退官後、滋賀県立大学の初代学長を勤められ、その後総合地球環境学研究所の初代所長としてご活躍。この春退職された。
19歳でお目にかかって以来、折に触れ、その進路を支えていただいている。明日19日付けの暮らしのパレットにもそのことを書いた。


生物学を学ぶ者にとって日高先生はあこがれの先生。カブトムシもこの講演会を本当に楽しみにしていた。その会場で思わぬ人に会った。


★先生だった。20数年ぶりの再会だった。
日高先生の東大時代からのお友達で、大変仲良くされてる。
こおろぎは弘前大学で大学院の修士課程を終えたあとH大の★先生の研究室に入った。
これは日高先生のご紹介ではなく、コオロギの研究のためであった。留学をやめて選んだ道だったが、待っていたのは言葉にならない日々だった。


一つの机が用意されていたし、コオロギの鳴き声を分析する機械もあった。
研究を続けるための場は確かにあったが、それはひとつも実現しなかった。

弘前で始めた研究は何一つ続けられず、私が運んできたコオロギたちだけが
どんどん増やされ、ほかの学生さんの材料になっていった。


イイ年をした大人になった今でも、私はそのときのことを思い出せば涙を禁じることができない。今ならどんな大問題になるだろうかと思うことが続いた。後から分かったことだが、その頃私は病気だった。微熱が続き、時には高熱も出た。


私の担当の☆先生との不協和音は出会った初日からだった。そして数々の数えきれない行き違いから博士課程への受験は不可能になった。私の衰弱はひどいものだったが、私が運び、飼育を指導したコオロギは元気に増え、その後、H大のその研究室ではコオロギが使われ、多くの学生たちの実験材料になっていった。


★先生は優しい教授だった。思いあまって部屋を訪ねると、私が訪ねるのがわかっていたかのように、いつも窓辺で絵を描いていらっしゃった。趣味の絵は本格的なものだったが
その優しい絵を見るとまた私は悲しかった。古い建物の古い廊下の向こうで私が泣こうと叫ぼうと★先生にはご理解いただけないと失望した。何度かご相談し、★先生からも進路についてご心配はいただいたが、理学部で博士号をとるという当初の目的は絶対に不可能だと確信した。ほかの大学で修士号をとった女子学生に、当時は居場所がなかったのかもしれない。そして私はことのほか異質な存在だったのも事実だろう。とにかく私は☆先生との確執などが理由でH大をやめた。


その後の経過は省略するが・・・・


日高先生の講演会が終わって再会した★先生は
私の顔を見るなりこうおっしゃった。


「やっぱり君だったね。さっき後姿を見てそう思ったよ」
そして私がご挨拶する前に続けておっしゃった。
「あの時、何もしてあげられなかったことがずっと気になっていました。この年になるとね、うまくいった仕事などどうでもいいんだよ、うまくいかなかったことばかり思い出される。今日も庭の絵を描きながら、君のことを思い出していたら、こうして会えた・・。本当にすまなかったね・・」


それは信じられない言葉だった。
泣き虫こおろぎはまた泣いてしまった。

あまりにも思いがけないことばだった。
どうしてあの時、かばっていただけなかったか、どうしてH大に残る道を守っていただけなかったのか、どうして☆先生を諌めていただけなかったのか・・・と思う日もなかったわけではない。


77歳になられた★先生は「会えてよかった」と繰り返された。
そばにいたカブトムシにも「彼女を充分に指導できなかったことが残念です」とおっしゃった。いきさつを知っているカブトムシもその意外な言葉に驚いたようだったが、大先輩に深く頭を下げてくれた。


私のその後のことは「日高君から聞いていたよ」とのこと。
日高先生のお気持ちがまたありがたくて涙がこぼれた。

これまでH大にわずか1年とちょっといたことを私は公には言わずに来た。
私に根性がなく、私に忍耐力がなく、私に能力がなく、私がわがままだったからに違いない・・・そう思うことでその日々を抹殺してきた。そうしないと自分の人生の方向が変わったことを納得できなかったからだ。


25歳の春は心身ともにボロボロになってH大を去った。だがあの古い理学部に私は確かにいた。


こおろぎはこの夏やっとH大を卒業した気分。★先生は覚えていらっしゃるだろうか。
大学院を諦めて大学を辞めると申し出た日、先生が描いていらっしゃった絵をいただいてきたこと。美しいH大の庭の絵だ。小さなカードなので当時の本の間に今もあるはずだ。

その日、卒業証書はこの絵一枚だと思って、胸にかかえて古いレンガの理学部を出た。泣きながらあの長い構内を歩いて門を出た。あの日から始まったのがこおろぎの今。


重ねて書くが、こんな日が来るとは思わなかった。
大きなわだかまりが消えるなど、考えても見なかった。
そして、もしかしたら20数年という年月は必要だったのかもしれないとも思う。


日々に、時間に意味があるのではないだろうか。
私の名刺を嬉しそうに受け取ってくださった★先生。
よかった、本当によかったと繰り返された。




人生、捨てたモノではない。諦めることもない。出る答えはいつか出る。
歩いていれば、出会うべき人には出会えるのかもしれない。


さ、仕切りなおしの人生、気持ちが晴れたこおろぎ・・・。
マダムこおろぎは、これからも堂々と「こおろぎ」を名乗りつづけよう。
H大のコオロギは私が運びました。私ができなかった研究を
後の人たちがコオロギで全国で立派に続けています!



コロ介が塾から帰ってきた。妙にテンション高いわ・・・。コロ介日記書きそうな勢い。まずいまずい。
今日はこれでおしまいっ!