仕事

madam-cricket2007-06-12

いろいろな仕事がある。このトシであらためて言うのはなんだが、
本当にいろんな生き方がある。
いつ会ってもグチしか言わない人もいるし、いつ会っても笑顔で元気な人もいる。大変なこと、苦しいことのない人なんているはずがないのだから、とりあえず、「その場」は楽しくすごしたら必ず元気になる。元気が元気を生む。不幸が不幸を呼ぶ。これ、実感。
写真はこおろぎとカブトムシが最近気に入っているビール2種。


今週はちょっと書きたくないほど強烈なスケジュール。だけど、全く動じていない。2年前なら、さあ大変!と大騒ぎしたが、ケンケンをひざにかかえて過ごした月日で、あわててもしかたがないことをしっかり学んだ。すべて優先順位に並べて片付けたらいい。大騒ぎしてもどうにもならないものはどうにもならない。予想してあわてても、想像しておびえても、どうにもならない。ケンケンはけして若返ることもなく、歩けるようにもならないことは分かっていた。別れの日を思ってケンケンのふわふわの毛に何度涙をこぼしたかしれない。そういえば、ケンケンの毛並みは最後まで素晴らしく美しかったー。
だけど、だからといって時間はとめられない。晴れた日、草わらに横たわらせたり、土の匂いをかがせてやったり、それが私にできることだった。そして別れの日は確実にやってきた。今できることをしっかりすればよいだけだ。



移動が続くので疲れないかと言われるけれど、その移動中でどれほどの仕事ができるかと思うだけで平気。疲労はない。先々で出会える生徒さんたちの顔がうかんでワクワクである。幸い、実に幸い自信のある分野がある。これだけは伝えよう、と思うことがある。これは苦労ではない。


人間、50歳からだ。痛感している。おもしろいのが50歳からだ。答えがでる。悲しいかな答えがでる。こおろぎにも恐ろしいかな答えが出た。まさにアリとキリギリス。遊んできた人生なのでこれからしっかりがんばれよ、と誰かに激励されている気がしている。同時に、遊んで身につけたものの中に、ちょいと素敵なものもあるので、それを誰かにしっかり伝えなさい、それが貴方のしごとですという声も聞こえるのだ。加齢は怖い。だけど、50歳からが人生ホンモノである。そのための50年であった。50を何年か過ぎて、やっぱり思う。「お勉強」こそ力。そしてすべての悩みから開放されるのも「お勉強」。悩みや迷いは夢中になれる時間ですっかり忘れてしまう。


今は日本語の日常語に関心がある。
今日某テレビで夏に向かって髪のまとめ方を教える番組があった。
プロが言う。「根元で束ねてあげましょう。」「くるくるっと巻いてあげて、しっかり2箇所とめてあげてください」。こおろぎの天敵の言葉の濫用である。こおろぎは「○○してあげる」という表現に敏感なのだ。どうして髪の毛に「あげる」と使うのか。
「子供には十分なことをしてあげたいんです」とか「親を旅行に連れて行ってあげたい」という表現も頭が痛い。だが皇太子様がお嬢様に「○○してあげたい」という表現を何度かなさって以来、日本語は変わったのだと確信した。イチイチ目くじら立てるのを諦めた。だが、聞くたびに耳に残って困る。そのころから日常語の進化に大いに関心がわいてきた。子供や親には「してやる」である。ペットにも「してやる」である。日本語の変化は、人間関係の変化である。実におもしろい。うんとトシをとったら日本語の勉強をどっさりしたい。−と、こおろぎはやっぱり127歳まで生きなければならない。パックだわ、マッサージだわ、体操だわ!


早くから自分の仕事、なすべき仕事を自覚する人もいるだろう。そして仕事には当然、家事、育児も含んでいうる。だがどうであれ、なんであれ、50歳からの方向は当然30代で決まり、40代で育てたものに違いない。覚悟して生きるぞ、ってことだ。やっぱりヒアルロン酸の重ね塗りしかないわ・・・・。