ビ・ハ・ク・・・・

とても素敵なパンにめぐり合った。ビジュアルが最高。思わず朝ごはんのテーブルに。リキュウ草を添えたら活き活きした。葡萄ヅルのマットはコオロギのママの蔓の先生の作品。ママのカゴも後ろにある。80過ぎてママの手仕事は素敵。
こんな平和な朝もあるのに・・・こおろぎんちの平和は継続しない。



「顔」にも気を使わなければならないと自覚したのが1年前。
ちょっと遅かった。
それでもアトピーや、いろんなトラブルは解決しようと3つの皮膚科のお世話になりながら、ちょっと気を使う生活をしたつもりだったのに、一向に好転しない。漢方を出していただいている近所の皮膚科で、シミは大きくなるばかりなのはなぜでしょう、と聞いたら、かわいい女医さんが「お机の向きはいかがでしょう?」と一言。ドキっ。シミが濃くなった左側からがんがん陽がさしている。
「窓の位置なども影響しますからね」・・・。ええッ?くるくる回りながら仕事するってことか・・・



ということがあって、自宅のサンサンと陽の入る3階のソファーでパソコンに向かうをやめようと思った私、気がつけば寝室は屋根裏。これまた天井から陽がサンサン。天窓にもブラインドをつけてあるが効果などない。ああ私はこの2年間、朝日をサンサンと浴びて、陽にあたってはいけない栄養クリームがしっかり肌をだめにしてきたのだ・・・ああ、もうだめだ、このトシで2年間もじっくり焼いてしまった・・・・もうだめだ・・・




とうなだれていたはずのこの私が、カブトムシの尋常ではないイビキに耐えられず光サンサンのリビングのソファーで寝てしまった。深夜の判断でうっかり・・であった。


痛い!顔が痛い!ウグああああああ・・・・・
目を開いたら天井から直射日光。ワイキキ状態。しかもアセだく。
もう怖くて鏡もみられない。カーマインローションをたたきつけたいほどの痛み。おびえて洗面台の鏡をのぞいたら赤い・・・・。
うそぞぞぞぞ・・・・


すぐに水で洗って、皮膚科医の従弟が作っているビタミンCのスペシャルローションを叩き込んで、ビタミンCを飲んで、それでも顔は熱い。食卓でも熱い。あら、納豆のたれが冷たいわ・・・。こおろぎは冷えた納豆のたれを顔に張ったのでした・・・。情けないなんてもんじゃない。


小学校時代、夏休み明けの「KURONBO(こんな言葉が許されていた時代)大会」で準優勝したことがある。中学時代は黒蜜だの、ロゼット洗顔パスタの黒子さんだのといわれ、高校時代は褐色の豆弾丸、大学時代は下宿のオバサンに「小麦色もそこまで焦げてちゃだめだわねえ・・・」といわれた。社会にでてからは素顔で歩いていても「あらあ、いいお色。ゴルフですか?」と何度言われたかしれない。それをやっとここまでにしたのに、ああ、ああ・・・


「いまどき、寝てて陽に焼けるなんてホームレスのおばさんだね」と
日ごろこおろぎにしいたげられているカブトムシがヒッヒッヒッと笑った。
そもそもカブトムシのイビキがひどいからこういうことになったのだ。

「いや、ホームレスのおばちゃま(ここんとこでおばちゃまってのはないだろーが)は新聞とかダンボールとかかぶって寝るから寝てて陽に焼けることなんてない・・・」とコロ介。

「普段もソートー黒いからなあ、変わんないんじゃない?」と恩知らずで無神経なキキ。


「健康的でいいじゃないの。そうそうKURONNBO大会で優勝したことあったわねえ」とこおろぎのママ。

「優勝じゃない、準優勝」とうっかり言ってしまったからコロ介は喜んだ。そんな大会に出ることがおかしいと笑った。悔しい。


こおろぎは焦げてしまいました。
そうそう、こおろぎが命を削って大学時代研究したこおろぎは
沖縄の「クロコオロギ」でした。
これもまた、当時、日本昆虫学会では話題になったものです。


5月4日は父の命日。
桜の花と一緒に散るよ、今日が命日になるよ、と
私の眼を見てにっこり笑って、本当に逝ってしまったパパ。
「三津子はいつも元気に飛び回っていなさい、暗い顔はしてはいけないよ」と
パパは言った。


パパ、約束どおり、あれからいろんなことがありましたが、
暗い顔などしたことはありません。
でも、とっても黒いのです・・・・。

ど、ど、どうしよう・・・・。今日はテ、テ、テレビ・・・・。