素敵だということ

madam-cricket2007-04-09

春、出会ったり別れたり。


テレビ局で、いつもお茶を入れてくださる若いお嬢さんの姿が見えない。
どうされたか聞くと、退社し、福祉関係の学校に入りなおしたとのこと。
某女子大を卒業され、放送局でもきっと長くお勤めされる女性だと思っていたのに残念。毎回、控え室の私にお茶を持ってきてくださる。休憩時間も熱いお茶を入れ替えにきてくださった。そのつどちょっとだけお喋るするのが楽しみだった。
「本当に気の利く、可愛いお嬢さんでした」とプロデューサーに言うと、
いろいろな部署で、先生と同じ声が聞こえてきています、とのことだった。
素敵な人はどこでも素敵なのだ。当たり前だけれど、自分に利益のある人にだけ、興味のある人にだけ笑顔を振りまいたり、尽くしたりする人もいるわけで、
彼女のように、どこでもだれからも愛される人材というのは、けして多くはない。
再び学校にもどり、新しい道を歩くというのも彼女らしい選択かもしれない。
彼女の手を必要としているお年寄りがどっさりいる。エールを送りたい。



キキの携帯電話が寿命がきて使えなくなり、買い換えることになった。ここまで不具合なのによく今日まで使ってきた、と感動するほどの壊れ方。辛抱したらしい。


ドコモショップで応対してくださった女性があまりに素敵で、シスターズともども感激。それまで何度もいろいろなショップで相談したキキだが、こおろぎの遺伝子をもっているので、店員さんの態度等が頭にきていつもぷんぷん怒って帰宅。これもこおろぎの遺伝子のせいで、今ひとつ理解力がないせいもある。だが今回行った大きなドコモショップではシスターズ二人も私も納得。接客してくださった彼女の笑顔がよかった。太陽のような、ひまわりのような、という表現がぴったりなのだ。優しい語り口調も、説明も動きも、完璧で誠意溢れるものだった。こおろぎ母娘同様、美人ではないけのだけど、でもまた会いたい女性だった。


「支払いの見直しなど、またご相談にうかがいますからどうぞよろしく」と言ったら、「私、今日で辞めるんですよ」とのこと。シスターズと私は絶句。なぜか絶句。初めて会い、たった一つの電話器を買っただけの短すぎるお付き合いだったのに、「残念です」とシスターズは声をそろえた。


不思議な空間だった。「もっと早くこちらに伺えばよかったです」とキキ。
店を出るとき、「お元気で」などと私たちは口々に言い、「ありがとうございました」と彼女はとびきりの笑顔で深々と頭を下げた。彼女の最後の「変な客」が私たちだったのは彼女にとって幸か不幸か。私たちはなぜか胸がいっぱいになった。「さみしいね」とシスターズ。「結婚するのかも」とか「ステップアップするのよ」など勝手な想像までした。「彼女は必ず幸せな人生を送る!」と占い師こおろぎは断言。実に単純な家族である。そのあとしばらくのあいだ「彼女、いい人だったね」とシスターズは言った。「あの笑顔、素敵だったね」と繰り返した。素敵な人に会わなければ素敵にはなれない。いい勉強をした。



最近見つけた素敵の法則。元気のないときに効果がある。
その1:第一声をしっかり言う。アクセントを頭に置く。
    思い切ってちょっとボリューム上げた声で話しはじめる。
    ごそごそと小さい声で話し始めないこと。

その2:歩幅をひろくする。いつもより意識して歩幅を広くしてみること。  
    家の中でも外でも、歩幅を広くしてかかとからしっかり歩くと不思議だけど
    やる気になるわ。

小さい小さい意識だけどね、幸せは、「元気」に宿る。こおろぎは確信している。