ひなまつり

madam-cricket2007-03-03

暮らしのパレットにも書いたが今年もお雛様を出せなかった。
山口県の作家の陶器のお雛様で我慢。草雛を作る代わりに、オクラレルカの葉を織って
敷物にした。リビングの片隅だけ春!


ゼンマイ仕掛けの時計やオルゴールが止まるようにケンケンの呼吸と心臓が止まった。そのあと届いたたくさんの花たちはすべて、萎れることなく、すべて咲いて咲いて咲いて咲き誇って散った。モンステラの葉などはまだ元気。胡蝶蘭は一輪ずつ水に浮かべたら半数以上がいきいきしている。限りある、その限界まで生きるということを、ケンケンも花たちも示した2月だった。


なかなか普通の生活に戻れないが、健康が一番大切であることは確か。無理はすまい。


去年、ロシア語の通訳でエッセイストだった米原麻里さんが亡くなったが、さきごろ哲学者としてすばらしい仕事をされた池田晶子さんも亡くなられたとのこと。40代半ばの若さだった。カブトムシと電話で話したのだが、お二人ともすばらしい仕事を残された。私たちは何も残していないからやっぱり健康第一でダラダラ長生きしようという結論。カブトムシは血圧が高くてうろたえ、脳外科で検査もして「過労」と言われてすっかり病人の気分らしい。函館のマンションで一人で闘病中とのこと。ウソをつけ。会合の多い季節、どのパーティーでも恥ずかしいほどガツガツ食べているのは知っている。懲りない奴だわ。



サスペンスを見た。原作は夏樹静子。あっぱれである。松本清張がそうだが、原作がしっかりしているもののすごさがあった。俳優がイマイチでも許される展開。やっぱり基礎。そして奥行き。


先日テレビでお笑い芸人の歌上手選手権のようなものを見た。札幌出身のタカ&トシの二連覇がかかっていた。タカさん、実にうまい。だが勝ち進むうちに聞いていて疲れてきた。彼は何を歌っても同じなのだ。熱唱系。強弱がない。「強」のまま絶叫型の上手さなのだ。決勝で負けた。増田岡田の勝ち。この時も、今日の夏樹静子原作を見た時も、やっぱり、とこおろぎは思った。

花のデザインをするとき、「びっしり」埋め尽くしたような作品を作る人がいる。これでもか、これでもかと貼り付けるように埋める作品、あるいは大きさで勝負する作品、奇をてらった素材を集めての勝負・・・・などに共通するのは強弱のない「奥行き」のなさ。基礎のなさも隠せる。
それは、タカさんの歌と同じである。2時間番組をとにかく仕上げて視聴者を集める「手」を使うインスタントサスペンスとも同じ。仮に結果は平凡で、面白さに欠けたとしても、こころに届くモノには基礎と奥行きがあるってもんよ。


疲れるわねえ。お笑い芸人の歌を聞いても、サスペンス観ても、縦軸と横軸に三次元の軸を加えて美と醜と品格を当てはめてグラフを書こうとしてしまう癖。でもおもしろい共通点があることはたしか。時々出会うぐったりするようなうるさい花や、猛烈に品のない料理が、いったいどうして生まれるか、そして私自身、どうやってそれを回避したらいいのか、ちょっとわかっちゃったもんね・・・・。


ハケンの品格」がおもしろい。「花より男子」、「わるいやつら」、「華麗なる一族」とこおろぎは忙しい。「華麗・・」は原作がいいので注目。だけどなあ、時代背景に無理がある。
スタイリストも演出家も原作の時代を知らないのが見てとれる。いっそ今の話にしてしまったほうが画面が落ち着いたはず。衣装がまずい。髪型も当然中途半端。熱演が多いだけに、小道具のまずさも目立つ。残念だわ。「わるいやつら」は余きみこさんの大勝利。この忙しい生活なのによくもまあこおろぎはテレビを観ている。手も足も動かしながら、これは特技かも。


ノルディックスキーの大会が開催されている。何がまずかったのか、こんなすばらしい機会なのに街は活気づいていない。そんな中5位入賞を果たした夏見円選手が先日テレビのゲストでいらした。いやあ美しい!背も高く、スタイルもよく、美しい!美しくて強い。素敵!
スキー嫌いの私、シスターズにスキーをさせたくなったわ。わが家のシスターズは実にまったく・・・。長女キキさんのお友達は先日まで「恋のからさわぎ」に出てたし、次女コロ介ちゃんのお友達は今日ファッションショーのPRでテレビで微笑んでた美少女モデル。なんだかなあーこれ、やっぱり遺伝。実に全く申し訳ない。「10点満点の2」とボーイフレンズに評価されたキキと、「ものすごくふざけた顔してるよね」とこれまたボーイフレンズに言われたコロ介、それなりに生きていきなさい・・・・。地味に確実に、いい仕事をしていきなさい・・・。


二の腕を細くする宣言をして、地味に努力しているこおろぎ、うふっ、ちょいといい感じ。
夏までがんばるぞ。問題は二の腕だけじゃないんだけど・・・。


生徒のSさんが超人気料理研究家がご飯と味噌汁の位置を逆に提案していると教えてくれた。
Sさんはその研究科家の大ファン。私も大好きな先生である。ご飯は左、汁モノは右だけど・・・。
だが某先生は「先にお汁がのみたいでしょう、だからいいの」として提案しているという。信じがたかったけれど今日本屋で見つけてしまった。
ちょっと言葉をさがせない。いいとかわるいとか、マナーは正誤の問題ではなく美醜の問題であり、便利か不便かの問題だが、では文化と伝統はどうしたものか。


先日、洋菓子の大家が、ティーカップに添えるスプーンの位置を「みなさん、スプーンを手前におくでしょう?でも最近はヨーロッパでは横におきますのよ」と紹介していた。
こおろぎは10数年前、紅茶の調査をしていたときロンドンでもパリでもバンクーバーでもニューヨークでも確認したことだが、スプーンの位置など誰も気にしておらず、そのころからスプーンは横に縦に置くところが多かった。なぜ茶碗の横に縦に置くのかと、カナダの有名なホテルで質問したら総支配人のような人まで登場して「なにかご無礼でしたか」と大騒ぎになったことがある。「置き方が失礼だったら今後気をつける」とまで言った。日本人はそんなことを気にするのだと説明したが、怪訝な顔をしていた。


情けない。大人気の料理人が、ご飯の位置なんかどうでもいいの、と言ってしまえば、たぶん、そのお弟子さんはそれを真似るだろう。それがおどろくような提案であればあるほど、日本人は飛びつくはずである。
洋菓子研究家の第一人者が「みなさまご存知ないでしょう?」と提案すれば、たぶん、今後ティースプーンの位置は変わるだろう。
かつて、スパゲティーにスプーンをつけるのは正しいか正しくないかというくだらない議論があった。「本場イタリア」ではスプーンをつかわないのよ、と、せっかくついているスプーンを無視して気取って食べて、ケチャップを洋服につけたオバサンがいた。ザマーミロだった。便利が一番。本場イタリアではお好きにどうぞ。異端の地、日本には日本の食べ方もあろう。ただし、日本には日本のルールもある。


食の場面は刻々と変わる。正誤ではなく、美醜に注目しながら、刻々と変わる事実、現実をしっかり記録しようと思う。


なぜか闘志がわいてきた。論文の最終校正。おもしろい図が書けた。
調査調査。コツコツ調査しよう。生活学研究家と肩書きを変えようと思う。