豹柄とウンチの化石

madam-cricket2007-02-14

毎週水曜日はケンケンの日。獣医さんにケンケンを預けにいって大学に通った。帰りはまた、大学からJR+地下鉄+タクシーで獣医さんへ。お給料はすべて飛んでしまったけれど、ケンケン、かあさんはとても幸せでした。ケンケンが逝ってしまったのも水曜日の真夜中でした。かあさんは一生、毎週水曜日、「ケンケンの日」と決めて、幸せだったケンケンとの時間を思い出します。


大学は試験だった。家を出て地下鉄に飛び乗った。猛吹雪の気配だったので久しぶりに豹のコートを着た。ジャガーBMWメルセデスを色違いで各種何台ももっているお友達のお下がりの古いコートだけど、こおろぎは大のお気に入り。飛び乗った地下鉄は混んでいない。いっせいに視線が集まる。ん?何か顔についてる?と思って隣をみたら豹柄のオバサン。オバサンの豹柄はシャカシャカ音のでるぶ厚いナイロン。ドキッ。巣鴨でよく売ってるタイプ。巣鴨オバサンは私を頭からシッポまで眺めて親しそうに微笑む。車内全員が私と巣鴨を交互に見比べる。つ、つ、つらい。みんななんとなく笑顔。巣鴨はもうあと一歩で私に話しかけそう。目をそらす。すると車内の視線がみんな巣鴨に同情して、こおろぎを責めているような感じ。中島公園から札幌駅までのなんと長いことだったか・・・。



不幸はそれだけではない。JRで恵庭に着いたこおろぎはホームでエレベーターに飛び乗った。さすがにそこには豹柄はいなかったが、世の中は甘くない。2階の改札口でエレベーターのドアが開いたとたん仰天。階段で上がってきた群集の中にいた!ホンモノの豹。アサショーリューかパンダ並みの立派な体格のマダムがこおろぎのコートよりなぜか毛足が長い豹のコート着ている。とにかくこの豹パンダがでっかいのが悪かった。エレベーターから降りた小さいこおりぎと階段昇ってきた豹パンダが出くわしたわけで、その場面を見たほぼ全員の視線がほんの一瞬止まった。だけどそこはみんな一人で動いているから声は出さない。なのになあ・・・オバサンのグループがいた。「いやあ、びっくりしたねえ・・デッカイ豹とちっちゃい豹!」と小声でささやきあって振り返っては笑い転げている。ふ、ふ、ふざけんなよ・・・とはいえないつらさ。そのオバサン軍団の一人がこおろぎに気がついた。「どっかで見たことあるわ、あの人・・・テレビで見たわあ」と軍団仲間に伝達。またいっせいに振り返る。「ちっちゃい方の豹かい?ひゃっひゃっひゃっ・・・」とでっかい小声。く、く、くやしい・・・。


それにしてもあのでっかい豹パンダ、なんであんなに毛足が長かったんだろう・・・。ほんとに豹かしら・・・。豹柄の狐だったかも?ホント、続けざまに二人も豹オバサンと遭遇した不幸。こおろぎ、これで今年の厄払い完了の気分。


試験のあと論文の校正で大学の机で頭かかえる。ケンケンがいなくなったので存分に机に向かえる。保育園に子供を預けている母親と同じだったんだなあ・・。
手にいれた時間を有効につかわなきゃ、申し訳ない。


保育園に子供たちをあずけていた頃を思い出す。
ケンケンのときと同じ、仕事の終わり時間を気にして大急ぎで保育園に飛びこんで保母さんに謝る毎日だった。当時、普通に仕事している女性たちはみんな私と同じだった。
かわいそうな大臣が失言を繰り返し、ズにのった周囲の言葉狩り状態に追い込まれているが、あれってどうなんでしょ。こおろぎは思うのよ、世の中の多くが彼と同じ意見だって。攻撃してる国会のオジサンたちだって、多くは同じ気持ちだってこと、こおろぎはお見通しよ!たまたた大臣は口にしてしまったのですわ。高校時代からずっとずっとずっと女性が仕事をするということの問題を考え続けてきた身としては、しらけるだけ。男の子のママたちは、息子の嫁にはちゃんと家事をして、完璧な食事を作ってほしいわけで、子供もちゃんと生んで育ててほしいのよ、それは当然です。女の子のママたちの中に、娘にはフツーに教育を受けてフツーに仕事して人生を謳歌してほしい、と思う人がほんの少しだけいる程度だとこおろぎは思っている。猛烈な男尊女卑はずっとずっとずっと続いている。偽善的にあの大臣を攻める世間がいやだわね・・・。


スローフードも食育も、つまるところ、仕事を持つ女性を最終的に結果的に批判する方向だと思っている。絶対にそうならないように、こおろぎはちょっと頑張ろうかと思い始めた。家庭の外で仕事をしながらでもちゃんとできる料理とか、ちゃんと伝承できる食文化の教育とか、こおろぎにできることをやっていこうと思う。専業主婦は大正時代、都市に急増したサラリーマンの「副産物」だった。専業主婦になれなかった女性たちに強い風が吹きそうでいやな予感がここ数年している。この予感はたぶんあたっている。



家中を掃除し始めた。車のついたカウンターを動かしたらずいぶん前に見えなくなったケンケンのご飯入れとお水入れがでてきた。いつこんなところに隠したのでしょ。見つからないのでケンケンは有田とか九谷の立派な器でご飯たべ、コペンハーゲンの器でお水のんだりしていた。ケンケンの作戦勝ちかも。それといっしょに化石になったウンチがでてきた。いつの「作品」だろうか。涙と笑顔がこぼれてしまった。ケンケンは永遠だわ。



黄色いお花はケンケンに届いたお花の一つ。私の好きな花ばかりをデザインするようにご手配くださったとのこと。黄色はいい。元気になる。外は猛吹雪だけど確実に春に向かっている。



豹柄脱いで春を待とう。時間を手にしてうろたえるこおろぎ。ケンケンは「かあさん、のんびりするのもいいもんでしょ」ということを、この1年で教えてくれたのかもしれない。ケンケンを抱えている時間は何もできなかった。じっとケンケンのぬくもりを抱えていた。じっとする、じっと考える時間の大切を教えてくれたのかもね・・・ありがとね・・・。こおろぎの肩にあごをのせて安心しているケンケンの写真、ケンケンは優しい顔をしている。いつもぴったりいっしょにいたっけね・・・・。