春の準備

madam-cricket2007-02-08

可愛い写真を見つけた。ケンケンとシスターズその2が居眠りしているところ。この2年間、動きが緩慢になったケンケンは家族とぴったり寄り添って生きてきた。いや、私たちがケンケンにくっついて暮らしてきた。
もういないケンケンだけど、家族と教室のアイドルだったケンケンの写真はずっと乗っけていこうと思う。


昨日大学に行くとき、向かえの医院の院長ご夫妻と愛犬エド君に会った。ケンケンがなくなるちょっと前、獣医さんからもどりタクシーから降りたとき、先生に会った。「どうした?ケンケン、がんばれよ」となでてくださった。それだけで私はうれしかった。ケンケンが亡くなった
と報告。ご夫妻とも悲しんでくださった。大きなエド君、じっと私の顔を見た。涙がでた。



だけど元気。こおろぎ家族はみんな元気。
素敵なお花がいくつか届いた。
写真はフレンチラインのデザイン。送り主とデザイナーのセンスが一致して存在感がある。器は葉ランで包まれている。美しい。



どっさり時間を得たのに、疲労感大。持病の椎間板ヘルニアから左足が激痛。症候性神経痛と言うやつ。あれこれ鎮痛剤を飲んでも効果なし。でも今日選んだ薬は効いた。ケンケンのおかげで獣医学まで手を伸ばしそうになった私、このところは神経痛の研究。薬もおもしろいけれど、コワイ。飲まずにすめばいいのだけど、顔がゆがむほどの激痛だった。




すこしずつ復活しよう。せっかく得た時間、新しい生活。



NHKのプロフェショナルでMITの石井裕氏の番組を観た。こんな素敵な研究者、久しぶりにみた。北海道大学卒とのこと。39歳でMITの教授になったという。顔がいい。表情がいい。動きもいい。学生との会話もいい。こんな先生に習いたかった。一流の大学の一流の学者はこうあるべきだ。自分がいなくなったあと、どうその仕事が残るか、使われるか、役立つかを考えられるのがプロフェショナルだと語った。稀有な人材だ。問題は、このような人を日本が抱えきれなかったことだ。マサチューセッツ工科大の「見る目」の勝ち。迷う学生を厳しく指導する姿は印象的だった。これ以上できなければさよならだ、という台詞も吐いた。教育者はこの厳しさをもたなければならない。褒めるばかりでは、逸材の育成はできないかもしれない。「オリジナル」を模索する姿が厳しく、ソファーに寝転んでいたこおろぎは思わず正座。MITのゼミの様子を見て不必要なほど緊張した。甘い。実に私は甘い。私は何を研究しようとしていたのか。理系の手法が懐かしい。どうにかならないか。私の方向性のオリジナルはどこにあるのか。まだ見えない。すぐそこにありそうなのに、見えない。努力が足りないということだ。



トップランナーYUIと言うシンガーソングライターも見てしまった。
うなるだけのこおろぎ。昔、リリイといシンガーがいた。もっと古くは浅川マキと言う人もいた。カルメンマキもいた。イツワ真弓さんはまだまだ現役か。古くは藤圭子まで思い出してしまった。可愛い顔立ちなのに、この寂しさ。尾崎豊まで思い出す。それなのに可愛い。古いのに新しい、不思議なシンガーが登場した。



昨夜、仕事の後、琴似パトスのコンサートに駆けつけた。後半少ししか聞けなかった。ピアノの辻千絵先生がバイオリンやギターと共演。辻先生のオールマイティーで気取らない姿勢が次女のピアノを引っ張ってくださっている。そのステージに可愛いバイオリニストがいた。夜間の大学に通う女子大生だという。なぜだろう、小さいからだから不思議な力がみなぎっていた。そんな人がいる。不思議なほど惹かれる人というのがいる。どこに惹かれるのかと考えていたら、ステージが終わったとき、観客の一人が彼女に花束を渡した。それは本当に小さな花束でケンケンに届く花束よりずっと小さな花束。しかも特別おしゃれでもないのに、彼女はうれしそうに駆け寄って受け取り、ありがとうございます、と大きな声で言った。彼女の目から涙があふれた。それは意外な光景だった。彼女は素敵だ。こういう人が素敵なのだ。



若いヒトはどんどん育ってくる。次々に世の中は新しいものを生み出す。
そんな中で、もうトシだと思うか、もういいや、と思うか、さてこおろぎ、実に全くイイトシをしているこおろぎ、どうする・・。



私はまだ何もしていない。一歩も歩み出てなどいない。
まだ何もしていない私は引退することすらできない。困ったもんだわ・・。ケンケン、かあさんはどうしたらいいと思う?ケンケンのお世話してた生活は楽だったなあ・・・。ケンケンを膝にのせているだけでよかったのだもの。さてこれからどうする?コンサート観て、テレビを観てひどくあわてている純情なこおろぎに幸あれ・・・。