旅立ち

madam-cricket2007-02-01

ケンケンのいない夜、この静けさは数年ぶり。広島での7年間の生活から函館に戻り、札幌で母と暮らしていたケンケンを引き取って以来である。
玄関を入ったらすぐに「ケンケン!」と声が出る。食事をしていてもケンケンはどうしてる?と家族はいつのまにか3階の様子に耳を傾ける。
さっきテレビを見に来た次女がCMのときポツンと言った。「あ、いない・・・。CMのたびにケンケンを見てたのに・・・」。
テレビっ子の彼女はコマーシャルになるとソファーの隣で寝ているケンケンに手を伸ばして、なでながら話しかけていたのだ。次女は生まれたときからケンケンがいた。次女には次女の深い悲しみがあるらしい。弟みたいなのに、お兄さんなんだからなあ・・・・といいながら、ソファーに寝そべってはお腹に乗せた。荒々しく扱うのに、ケンケンは不思議と次女が抱いたり、お腹に乗せるといつもすぐに眠るのだった。


朝八時半、電話が鳴った。獣医さんからだった。休診日なのに朝、傷の手当をしてくださるとのことだったが、予定通り来れるか、という確認だった。夜中に亡くなったと伝えると、言葉を失われた。
「だめだったか・・」とおっしゃるので「それでも連れて行こうと思ったけれど、お忙しければ直接霊園に連れいていきます」と申し上げたら、「ボク、ケンケンに会いたいなあ、ボクが会いたいから連れてきてほしい」とおっしゃった。珈琲を入れながら涙があふれた。
先生がケンケンに会いたいってと伝えるとキキもまた泣いた。「情」のある、心ある先生の言葉に甘えて、タクシーに乗った。


病院で、若い院長は待っていてくださった。心臓が動いているのが不思議だったとおっしゃった。何度も危篤になりながら立ち直ってきたけれど、今度は無理だったね、と体をきれいにしてくださりながら、何度も何度も立派だったとケンケンに声をかけてくださった。ペットの火葬場を紹介していただいて帰るときだった。オレンジ色のかわいい花束をケンケンにくださった。短い時間にご用意くださったのだ。「よく頑張ったね」と言って、ケンケンのおくるみに添えて、タクシーが出るまで見送ってくださった。ケンケンは本当に幸せだった。


午後、最後の授業を途中で早退した次女と、レポートの発表を終えて飛んで帰ってきた長女、そして母と4人で、迎えに来ていただいた火葬場の車に乗った。郊外の森の中にひっそりと、その場所はあった。わずかな別れの時間があってすぐにケンケンは私たちの視界から消えた。父を亡くしたときを思い出し、正気を失いそうになった。今は二人の娘のいる私、崩れるわけにもいかず、外にでた。涙をふいていたら同じくペットを連れてきた若い女性に声をかけられた。「先生ですか?荒井先生?」



こんなことは奇跡としかいえない。私の大切な生徒、葵ちゃんとこのみちゃん姉妹の長姉のマヤさんだった。お母様とペットショップを経営されている。やはり今日、愛犬を亡くされたのだという。広い札幌、いくつもある火葬場、いくつもある時間帯なのに、南区の森の中で偶然出会った。
ケンケンは寂しく天国に行くのではない・・、マヤさんの愛犬といっしょに天国に昇るのだ・・・。そう思うと不思議な不思議なご縁に感謝せざるを得なかった。


夜、三姉妹のお母様と、このみちゃんが花束を持って訪ねてくださった。
葵ちゃんは東京、このみちゃんは札幌の教室に通ってくださっている。ご縁としかいえない。たくさんの犬たちを見送られたご経験から、貴重なお話を聞かせていただいた。写真の優しい花束をいただいた。家族の寂しい時間に、華やかな美しいお母様の訪問を受け、私はとても救われた。わが家から5分ほどのところに明日ドッグカフェをオープンされるというのもまた奇跡的なご縁である。


ケンケンは旅立った。カブトムシから電話。「哀しいね・・・」とひとこと。彼もひとりで函館で見送ってくれたのだ。ケンケンの果たした役割は大きい。人間にはできない役割であった。


仕事はたくさんある。なのに何もできず、こおろぎは一粒300円のチョコレートを3個、マロングラッセを1個、大きな八朔を1個、バナナを1本、ナッツとかき餅の小袋を3袋食べた。どこか壊れたのではないだろうか。小さいからだで食べ続けた。食事のあとである。突然腰痛。神経痛である。体が動かない。風邪気味か。油断した体に病魔が忍び寄る。大食の誘惑。いけないいけない。油断しないぞ。けして休まず仕事するぞ。少しでも休むとその隙間をいたずらウイルスに狙われそう。ひるまずゆるまず立ち上がるわ・・・・。


ケンケンを忘れない。私たちはケンケンを絶対に忘れない。
可愛い骨壷がパソコンの横にある。ケンケンのシッポの毛を別れる直前にちょっぴりカットした私たち。外見は少しも老いず、美しいままだったケンケンの柔らかい毛、そして焼き残った小さい爪を娘達たちは丁寧に拾ってきた。お守りにしようね。一生懸命生きたケンケンを私たちは生涯忘れない。そして生きるということがどれほど真剣で、たくましく、感動的であるかを教えてくれたケンケンの魂を見習って、日々大切に生きていこう。


寂しさは忙しい日常に紛れていくだろう。だけど
私たちは、けしてケンケンを忘れない。