静かな夜

madam-cricket2007-01-31

毎週水曜日は大学なのでケンケンは朝から獣医さんに預けに行く。だがこの水曜日はキキが午後大学からもどってケンケンを看るというので、朝獣医さんに診ていただいて連れて帰った。
傷はだいぶよくなったが、食べない。どこか痛いかもしれないし、神経系のどこかのトラブルは改善されるかもしれない、とのことでステロイドを注射。少しでも食べられるようになればとの配慮。木曜日は休診日だけどケンケンの傷の手当と注射の効果を見るために病院をあけてくださるという。感謝して帰宅。


午後は大学だった。試験前最後の授業。ついつい力がはいった。授業の合間にメールでケンケンの様子を聞くと、大丈夫と返事。自宅で介護、これが一番だ。今日はキーちゃんといっしょでケンケンは幸せ。

久しぶりにキキとママと3人で夕食。マキはバレエ。夜は試験勉強のキキのそばで私も本を読みながらケンケンの様子を見る。相変わらず食べない。水を飲むのもヘタになった。注射の効果はない。ときおり軽く痙攣。でも眼がしっかりしているので安心していたら2月1日に日付が変わったとき異変がおこった。


静かに眼を閉じていたケンケンが大きな瞳を見開いた。歯をカタカタいわせて大きく震えている。あわてて抱き上げた。キキもそばにいる。二人で抱きしめる。
水も飲まない。牛乳も飲まない。時おり大きく震える。何度か繰り返す。
「息してる?息してる?」キキは叫ぶ。大丈夫大丈夫と答えながら、別れのときがきたと思った。呼吸は規則的だったが少しずつ少しずつ間隔があくのがわかった。
心臓は乱れながらも私の手のひらで強く打っている。「心臓は?脈は?」口元に水を含ませ、目薬をさしたりしながらキキは聞く。大丈夫、大丈夫・・・。
私たちは涙をこぼしながらケンケンを抱いていた。
静かに静かに呼吸していたがゆっくりとまった。
それでも心臓は動き、そして静かに静かに止まった。

ケンケンは私とキキの腕の中で逝った。
とうとう逝ってしまった。


ケンケン、ありがとうね、ありがとうね、と耳元で叫んだけれど、聞こえただろうか。夜中1時半。呼べばマキコもママも飛んできたと思う。だけど、ケンケンが天国に行くのを見送るのは私とキキだけでいい。それがいい。


あの夏、私は本当につらかった。キキは2歳か3歳だった。離婚を意識してただ忙しくしていた私と娘は近所に生まれた子犬を時々見に行った。7匹くら生まれた大所帯。だが子犬は全部まっしろで長い毛。その中に一匹だけ母親犬とそっくりの茶色い子犬がいた。犬など飼う時間も気力もなかったのだが、キキの遊び友達に一匹もらおうと気軽に思ってしまったのだ。どの子犬にする?と考える時間もたのしかった。もう一度見に行こうと出向いた日、犬小屋にはすでに白い子犬たちはいなかった。たった今保健所に引き取ってもらったという。この茶色いのだけは母親と同じ顔しているから、きっと大きくならない、という理由で足さきの白い茶色の子犬だけがいた。「この子は手放さないのですね・」と聞くと、「もらってくれるかい?」とのこと。もしかしたらこの子さえ保健所に渡してしまうかもしれないと私は思った。「もらってくれたら助かるねえ、餌も首輪もおまけにあげるよ」、飼い主の奥さんはニコニコして子犬をキキに抱かせてくれた。足先が白いのでソックスという名前にした。
それからほどなくして健康な犬と書いてケンケンと名前を変えた。子犬はすぐに咳をした。ちょっと散歩をするとすぐにぜーぜー苦しがった。健康に育て、と私は思って名前を変えた。


ケンケンの痴呆や病気は今は語る元気がない。ペットブームの必然、誰もが経験する壮絶な日々を私も経験しただけのこと。この3年、特に2年間は昼夜が完全に逆転。色々な問題もあった。娘のバレエの舞台の途中でも様子を見にもどったこともあった。真夜中、吠えやまないので抱いて外にでて歩かせてみたり、いっしょに玄関で朝を迎えたり、でもケンケン、それもこれもかあさんは楽しかったです。

ケンケンに起されたので本も読みました。音楽も聴きました。真夜中に大掃除もしました。お肉も煮たし、論文も書きました。


この1年は激動だった。義父の入院、ケンケンの老化・・・私自身の疲労は大きかった。ちょうど一年前、あまりにつらくなってケンケンを1週間預けたとき、ケンケンの顔にできた傷が最悪の事態になり、顔面半分、皮をはぐほど化膿した。ネットを被ったチャーミングなケンケンは町内でも有名になった。それからの1年、日ごとに足は弱り、寝たきりになったが、8月は誕生日。この写真は以前ブログに載せた。9月には健康な高齢犬として表彰された。よく食べ、歩けないまでも元気だった。

これから少しずつ、ケンケンのいた日々のこと、かあさんはつづっていこうと思う。
ケンケンは私とキキの暮らしを19年も見てきたのだものね。

ケンケンがどうやって逝くのか、言い表せないほど恐怖だった。一匹で留守番などさせられなかった。旅にも出ず、できるだけ家にいた。どんなに苦しむのだろうか、どうやってそれに耐えたらよいのだろうか、考えただけで涙がでた。この半年はソレばかり考えたともいえよう。それが、大学の授業の最後の日、しかも自宅でキキが面倒を見てくれた日、バイトを休んで試験勉強をしていたその夜、私とキキが二人でケンケンを見ていたとき、ケンケンはそのときを待っていたとしか思えない。明日だったらキキはいなかった。昨日だったら私は授業の準備で眼をはなしていた。

ケンケンは声もあげず、大きな大きな眼を、きれいな瞳を見開いて私とキキをしっかり見つめて可愛いまま逝った。しっかりと静かに私の腕の中で逝った。この忙しい私が明日はオフ。そんな日をちゃんと選んでくれたのだ。

立派な雑種は立派に逝った。お手もできないアホ犬と言ってごめんなさい。
お手などする必要はなかったのよね。ケンケンは何からなにまで立派だった。獣医さんたちもこの心臓が動いているのが不思議だと毎回おっしゃった。

二人でひとしきり泣いてからマキコとママの部屋に連れていった。
カブトムシには朝電話しよう。犬嫌いだった彼も、いつのまにかケンケンを家族として迎え、毎晩の電話の開口一番は「ケンケン元気?」だった。
もう案じる相手はいない。

ケンケンは私の歴史をしっかりみてきた。離婚、再婚・・ケンケンにママを預けて広島に転居。父を亡くし、義母も亡くした。でも新しい家族も仕事も得た。ケンケンを語ることは私のこの20年を振り返ることなのだ。ケンケン、ありがとうね。
本当にお疲れ様。もう頑張らなくていい。精一杯と言う言葉はケンケンの命のことをいう。キャンドルが美しく燃え、力尽きて、燃え尽きた。その通りの命だった。体重が半分になり、小さく小さくなったケンケンのぬくもりがまだ消えない。
たべかけのご飯、飲みかけの水、最後の首輪、まだ餌の缶がこんなにのこっているのに、まだ目薬も心臓のお薬もこんなにあるのに、雪の日、またムートンのコートにくるんでお散歩しようと思っていたのに、ケンケンは雪が似合っているのに、夏の暑い日生まれたケンケンは雪の日、静かに逝ってしまった。



みんなが交代でしっかり抱きしめた。不思議なことにいつまでもあたたかかった。
今私の足元でケンケンは眠っている。今にも「かあさん、おはよー」といつものように吠え始めそうだ。

この3週間ほど、ケンケンはとても静かだった。洗濯物も増やさず、優しい顔で横になっていた。旅立つ準備だったのかもしれない。

この3年、膝の上にいたケンケンはもういない。いつも足元に、膝の上にいた
わがまま三昧の天下の雑種、ケンケンはもういない。軽くなった膝をどうしてたらいいのだろうか。