戦う時間

締め切りに論文を間に合わせたこおろぎは、力が抜けて風邪気味。土曜日は義父の誕生会。久しぶりに家族そろってなだ万。そのあとカラオケ。日曜日、お友達の家族とお昼バエレンタル。旅人気分。そんな中、ケンケンは不調。


食べなくなったのだ。食欲はある。だが物理的に食べる動作、機能がつらそう。結果、食べる量が少なくなった。
絶対に床擦れのないように注意していたのに、病院に預けた日にできた小さな傷が大きくなり、毎日消毒と治療にかようことになった。だがそのほうがいい。毎日、獣医さんにみていただくことでどんな事態にも対応できる。


今日月曜日、朝一番に獣医さんにつれていく。タクシーの運転手さんがまた犬好きの人だった。
子供のころ飼っていたシェパードを老衰で亡くしたという。老衰でもうだめだ、というとき、おじいさんが「コイツは老衰で死ぬが、悲しむな、じいちゃんだって死ぬんだぞと言われて言葉なくしたね・・・」と話してくれた。
重い言葉だ。誰だって死亡率100%。死ごときで泣くな・・・ということか。
運転手さんはその次飼ったスピッツを病気で亡くし、3頭目アイヌ犬がいたずらっ子を噛んで手放さなければならなくなったことなど話してくれた。ケンケンの病院通いでいったいどれほどタクシードライバーさんたちの犬談義をきいたことだろう。一冊本がかけそうのほどだ。


ケンケンは小さくなった。獣医さんに聞いたら、最近は病死ばかりで老衰と戦うということは珍しいという。
食べないケンケンに無理やり管を入れて栄養分を流し込むことも可能だが、その方法を私は選択しない。
生きるということは基本的に丸ごと「自力」ですることなのだ。ケンケンがケンケンの力でできることをして守るのがケンケンの命なのだ。傷口のガーゼを包帯で巻くのを見ていたら涙がでた。先生と看護婦さんと3人で「がんばれるだけがんばりましょう」そう話しあった。先生はケンケンにささやいた。「おい、がんばれよ」


イチオシだった。なんと話題に円山動物園の像の花子が老衰で亡くなったというものがあり、番組中、2度コメントを求められた。涙がでそうになった。CMのときお隣の解説委員の小野塚さんが「愛犬と重なったね、つらいね」と一言。彼もまた去年、溺愛していた愛犬を亡くされている。避けられない現実をみんなが生きている。


今夜ケンケンは少し食べた。よしっ。


テレビ番組の捏造が問題になっている。あほらしいが、ほら見たことか、と思う。
大学の授業でいつも絶叫的に言い続けているのがフードファディズム。先週の授業でも取り上げた。まさにこのことだ。
○○が××に効く、という食べ方はないのである。妄信する無知性を恥じるべき。
言いたくないが科学する頭のない連中に体に関する番組を作らせてはいけない。それだけだ。
学会で発表された・・・という表現に振り回される視聴者も視聴者だが、作り手の無知が情け無い。
学会ではだれでも発表できる。発表内容は真実とはかぎらない。そんなこともわからないのだろうか。さて問題はあの番組だけではない。はやくもっと問題の多いお昼の番組に手が伸びることを切望する。
それにしても、今頃、いろんな学者が「僕は言っていない」などと言い出すことも問題じゃないの?


某菓子メーカーとて、今ごろ、実はこんなこと、あんなこと・・・と内部から声が聞こえるのが不愉快。
良心があったらなぜもっと早く告発しなかったのだろうか。
誰が悪いか分からない問題だ。会社のトップばかりに頭を下げさせているが、さて蛾が卵生もうが、ねずみが走ろうが、長年告発しなかった現場の人間に責任はないのだろうか。


先日までNHKで山頭火についてコピーライターの中畑氏が解説する番組があった。山頭火の句は大嫌いなのだが、中畑ファンなのでつい見てしまった。だがやっぱりいやな句ばかりだ。山頭火の孤独で人の心をついひきつける人生や写真がなければ後世に残ったかどうかわからないとさえ思う。
だが、山頭火が嫌いだ、というのは言いにくい。かつて、童話作家のMKが嫌いだと言って、場の空気を大いに乱してしまったことがある。コントの神様あつかいされているHK氏の奇妙な話法や芝居の方程式がうさんくさくていやだというのも言ってはいけないようだし、無声映画のCプリンも私は大嫌いだ・・・とはいいずらい。あれもこれも嫌いだと子供のようだが、嫌いだといってはいけないらしいものが世の中にはたくさんある・・・というか、だれもが「嫌ってはいけないもの」があることを発見したとでも言おうか。「みんなちがってみんないい」という詩人も私は泣きそうなほど苦手である。これもまた言ってはいけないようだ。こおろぎは心がすさんでいるので心美しいものが苦手なのかしら・・・。



なんとなく戦闘モードにあるおろぎだわ。
女性は生む機械であると言ったアホな大臣がいるが、そのことより何より、抗議に行った女性代議士群のファッションを見てうんざりした。ライス国務長官を見習いなさいよ・・・・。シックということばはどこにもない。女性性を強調する不思議な「カラフルスーツ」姿で女性蔑視を訴えるのってどうかと思うなあ・・・。そう見てみるとレンホーさんのファッション、たたずまいは立派。


話変わって、山本キッドのレスリングの試合をみても言葉をなくした。忠臣蔵か?父のカタキウチモードでプロからアマへ転向しての試合。姉妹の応援と父の指導。超日本的人情芝居を見せられたよう。私、レスリングはきらいではない。そのレスリングの神聖なリングにあれほど「立派な」刺青して登場する神経。プロはプロでおやりなさいよ。リングを間違ってはいけない。こおろぎ、あの試合でいいお勉強をした。


写真はリニューアルした札幌Gホテルのエントランス。素敵ではない、と言われて見に行ったら、素敵だった。
強い個性。いいじゃないの、いいじゃないの。メリハリしっかりしたデザインには伝わるものがある。


リングを間違えず、衣装も間違えないように、いやなものからはできるだけ遠ざかり、雨にも負けて、風にも負けながら生きていきましょう。
心小さく、他者も認められず、協調性もなく、北の病む人も南の悩む人も助けられず、「みんな違う」ことも理解できない情け無いこおろぎだが、この冬、ケンケンの小さくなった命を抱えて両足踏ん張って過ごしていこうっと!