なんとなく・・

madam-cricket2006-12-04

土曜日から広島だった。夕方到着してそのまま空港近くのホテルのコテージへ。
研究会。ベテラン5名の力作がならんだ。コテージはバブル時代の落とし子のインテリアで申し分ないステージなのだが暗いのが問題。こおろぎのカメラ能力ではよく撮れず残念。
花のデザインは材料集めが命。器の選択も命。技術は気力と学力で補えるといつも思う。
今回は各自材料を選んで集合した。みなさん立派。ストーリーのある選択。

材料と器を集める体力を惜しむ人は絶対に伸びない。なんでも「労働」なのだ。



若い日、実験動物であるこおろぎの採集に私は行かなかった。ひどく体力がなかった。自律神経も乱れ、低血圧の上、ひどい不整脈。後にわかったことだが肺も患っていた。
夜中の実験がやっとで材料を集めるところまで体力がもたなかった。仲間の批判を一身に受けたのは当然である。恩師はなんども科学は労働だと私に繰り返した。結局、最終的に修士論文を仕上げる期日が迫ったとき、教授が世界中から集めたこおろぎの標本が私の材料になった。
明けても暮れても、アルコール漬けのこおろぎの頭の幅と羽の長さ、やすりの歯の数を顕微鏡で数える作業を続けた。よい結果が出たと思う。後年、教授がイギリスの教科書に書かれた一部に私の名前もつながっている。



だがその材料を集めたのは私ではない。そのことを私は忘れてはいけないと思っている。
花をデザインするときも、食卓を創るときも、モノの貸し借りを禁じているのはその反省があるからだ。何を集めたか、何を選んだか、ということこそ力なのだと思う。そして自分の集めたもので力を発揮すべきなのだ。経済力がなければそれなりに、体力がなければそれなりに、それで絶対にいいと思う。背伸びもいけない。花を扱うときも、百本のバラより野の花と手持ちのグラスで作るイメージの方がよいことがある。身の丈の食卓、等身大のデザイン、そして時に大いなる挑戦、それが理想だ。



広島の生徒さんたちは本当に力がある。一を言えば十を理解し、表現する。広島で表現の場ができるよう努めたいと心から思った。今日午前中、広島の某ホテルの企画担当の方と相談。よい方向に向かいそう。来年に期待大。


2泊の旅だった。行くときも帰りもいっしょの飛行機の女性がいた。全身が八代亜紀風。いまどき真っ赤な爪の先まで気を使っていて素敵といえば素敵だけど・・・イイトシをして高い位置のポニーテールは痛々しい。ベルサーチ風のブラウスにセリーヌ風のスカーフをする勇気もあっぱれ。皮のパッツパツに細いパンツスーツはデッカイお尻のオバサンは着てはいけない。ヴィトンのバッグは使いこなしてカッコいいけど、車つきのバッグのポケットにたたんだ紙袋を3枚入れているのはタダのおばさん・・・とわが身をタナに上げて観察。久々にケバイ女性に遭遇。スカーフを顔にのせて、飛行機の座席二つ使って寝るあたりも、天然記念物に近い存在だった。


八代亜紀に比べてて今回のこおろぎの装いは激安だった。全身黒。金曜日イクラを買いにいったスーパーの隣の古着屋で見つけたセーターとスカート。それぞれイクラより安かった。かなりよいブランド物だけど、いらない人にはいらないもの。未使用の良品。カーディガンは次女の洋服を買う店で1280円。ハイヒールは渋谷の109のバーゲン。コートはソニアリキエルの初期のものだけど以前アンティーク屋で激安で発掘。全身あわせてもあのマダムのスカーフ代にも満たない。


今回札幌を出るとき、札幌駅の券売機の前で白髪の女性に声をかけられた。八代亜紀とは正反対のイメージの女性。千歳空港行きの切符の買い方を教えてほしいという。そのあと申し訳ないけれどついていっていいかという。お嬢さんのお産でご主人と札幌にきたけれど帰りはひとり。何もかも初めてで心細いとのこと。JRの席は別だったか空港駅で彼女を待ってカウンターまでごいっしょした。聞けば広島へ帰るとのこと。ゲートまでお連れした。広島に着いたとき、彼女は大野町にすんでいるので一度遊びにきてほしいのですが・・・と言った。名刺を渡そうか迷ったけれど彼女はそれ以上聞かなかったので互いに名乗らなかった。「今主人に電話したら、ようひとりで帰ってこられたのお!、って褒められました」といたずらっぽく笑った。ホテルから迎えの車が来るまでの短い時間、私は彼女を広島駅行きのバスまで見送った。バスが出るとき彼女は私を見て窓ガラス越しに両手を合わせて深く頭を下げた。美しい笑顔だった。再び会うことのない女性とのとてもあたたかな時間だった。どうしてかわからないのだけれど、胸がいっぱいになった。突然優しい時間が流れることがある。そんなひとときだった。