泣き虫遺伝子

madam-cricket2006-09-29


なんだか時間があるなあ・・・と思っていたら夏休みが続いていたらしい。来週から大学ですよ!というメールが大学の千晶ちゃんから来て気がついた。こおろぎは暇が嫌い。不調続きだった。適度に時間に追われるのがいい。

29日、不細工シスターズ次女の学校祭があった。中2の彼女、ステージ部門担当。ホントは洋物ならなんでも歌って踊れる才能だけはあるのだけれど、そこは抑えてみんなといっしょに沖縄舞踊、エイサー。太鼓たたいて歌って踊って・・・。大感動だった。終わって引き下がるとき号泣してた次女。責任者だったからかしら、感動したんだわね、マッキー。沖縄舞踊に決定して練習が始まったころいくつか続いたトラブルで胸を痛めていた日もあった。よくやったわマッキー。勉強以外ならホント、力以上の力だすところ、感動してすぐに号泣するところもこれはたしかにDNA。


夕べ次女に今日学校祭に着て行く洋服をチェックされた。スーツはだめ、ジャケットもだめ、赤もだめ、ショッキングピンクはもっとダメ。血迷って和服はもっとだめ。じゃあ何着りゃいいのさ!
事前チェックの末、ディオールのギャザースカート(20年前のもの。紺)に白のタートル。ハワイの古着屋で買ったデニムの細身のジャケット。上履きは黒の7センチヒールのサンダル。でも学校に出かけるときバッグのチェックがなかったことに気がついた。スカートには紺のクロコのかっちりしたバッグが似合うけどたぶんだめでしょ。クロのケリーもったら張り倒されるでしょ。挿し色で赤のロエべ持ったらぶっ殺されるでしょ。考え疲れて最近プレゼントされた手提げにした。これがまたオリジナルのバッグ。こおろぎのイメージで作ってくださったもの。でも学校に到着して反省。やっぱりちょっと違った。お母さんたちはジーンズにベージュ系の上着が7割。バッグは校舎の壁の保護色と決まっていたのかも。ま、短い時間だし父兄も少なかったのでこおろぎの83歳のママ(ママったら季節を意識した葡萄色の大島紬に白と銀の葡萄柄の帯。上履きも濃紺の草履)と二人でそっと壁側でマッキーを応援したのでした。


こおろぎは元気です。でも友達を一人亡くしました。


入院して2ヶ月半で逝ってしまいました。
10数年前仕事で出会った彼女は同じ年。こおろぎは当時離婚して、それでも元気に5歳の長女と暮らしていた。彼女は企画を担当していた会社のギャラリーでそんな私と娘の二人展を開いてくれた。その展覧会の案内を義母から渡されて見にきたのがカブトムシ。そのときは会えず、数日後こおろぎは初めてカブトムシに会った。さらにその数日後私たちは突然結婚することになったのだ。大騒ぎのドラマの末、アラスカでの新生活。帰国後函館で開いたパーティーにも駆けつけてくれ、大粒の涙を流して私と長女の幸せを祈ってくれたのも彼女だった。バブル経済で日本中が浮かれていたとき、私生活では不幸のどん底だったが、大企業にいた彼女と私は我ながらいい仕事を山ほどしたと思う。札幌と東京でスタイリッシュセミナーなど、女性を対象にした楽しい企画を次々に成功させた。今見ても新鮮な企画書が山ほど残っている。二人でパリにも行き、ニューヨークも歩いた。クールな話し方をするのでいつも私を怒らせた彼女、ドライな仕事ぶりの割りに女々しいところがあっていつも私をいらいらさせた彼女、涙もろいくせにきつい表現をするのでいつだって私を混乱させた彼女・・・。だけど東京に行くたびに私は彼女と会う時間はないかと考えていた。残念ながらこの1年会えなかった。7月14日、パリ祭りが彼女の誕生日。いっしょにパリで過ごしたこともある。今年に限って電話ができなかった。その後電話したときはすでに彼女の携帯に応答はなかった。聞けば7月15日入院。9月27日他界した。
自宅のレッスン中、東京の仲間から泣きながら電話。キッチンが凍りついた。


哀しいのは彼女が医療を拒否していたことである。訳あって彼女は最悪の情況になるまで
入院しなかった。去年手術をすれば治ったと思う。なぞの多い死に悲しみの行き場がない。
お姉さまと話すうちに少しずつ霧が晴れる。だが別の哀しみも生まれてくる。
彼女の死の背景が全部見えるには時間がかかるかもしれない。だが苦しみぬいて亡くなった彼女と、残されたご姉妹、お母様のために、必ず真実にたどりつきたいと思っている。
祭壇の前で動けなくなった。花などむなしい。どんなに飾ったところで、美しかった彼女は再び微笑まない。葬儀などしてくれるなと帰宅して娘達に言った。「ハイよ」とあっさり答えた二人。それでいい・・・。

独身だった彼女はいつも「ミツコが2回結婚するから私は一度もできないのよ」と笑った。
二人も娘がいてまだ何か欲しいの?と詰め寄った。200人も部下を持ち、キャリアを重ねた日もあった彼女は私にはまぶしい女性だったのに、「ミツコはいいなあ」といつもため息をついていた。「どこかまた海外に行かない?」「美味しいものたべよう」「それ、どこの服?」「素敵な男性いない?」・・・彼女の声が聞こえる。「ミツコはいいなあ・・」という声が繰り返し聞こえてくる。なぜ彼女を救えなかったのか・・思い荷物を今背負ってしまった。なぞ解きがスタートした。いくつかのなぞが解けたとしても彼女はもどらない。


本当に「ミツコはいい」のだろうか。
いつ人生が終わるかわからない。そんな当たり前のことを実感した。
大掃除しながら10月からの大学の授業の準備を開始した。
新しく2つの学会に入ることにした。

本当にミツコはいい・・のだろうか・・・。
冠婚葬祭を研究テーマにしているのに、私は喪服をもっていない。黒い洋服ばからいだからだ。彼女の通夜にはヴェルサーチのスカートにY'sのハイネックのインナー、ジェニーのロングジャケットで行った。ザマー見ろ!生きてこそのおしゃれなのよ。悔しかったらそんな棺から飛び出して生き返ってみなさいよ・・・。ミツコはいいのか、本当にミツコはいいのか・・・確かめるために
私は死ぬわけにはいかない。絶対に死なない。