猛暑

madam-cricket2006-07-16

札幌も真夏。暑い。狭い土地に縦長に建つこおろぎの家は上に行くにつれて激暑。アホな夫婦は1階と2階にクーラーをつけたのに3階+αには予算がなく・・・、つまり暑いところにクーラーがない。3階暮らしのケンケンは目下涼しいところを渡り歩く生活。来月19歳になるケンケン、今月末には誕生パーティーを予定。お散歩のときいつも顔を合わせていたラブラドルのルークとマウンテンシープドッグのウイリーは今春相次いで他界。スタンダードプードルのスミレちゃんはケンケンの育ちの悪さが嫌いらしいから来てくれないと思う。大好きなミニチュアシュナウザーのジェイ君とトイプードルのルー君は函館だから遠い・・・。どうしたものか。

土曜日東京教室があった。猛暑酷暑の中、個性的な生徒さんが個性的な素材で合同作品をいくつも製作した。近くりなちゃんが花写真館で見せてくれると思う。また今回は強力なブレインN君(クン付けするのは私くらい。仕事で出会ったときは20代だっ彼はいまやIT企業の星の40代)が教室風景を撮影してくれたのでこれも見ていただけると思う。

我校は「季節感」と、「植物の個性と美しさ」をまず大切にしている。そして旬の素材で人が集う空間を演出すること。型の勉強や小さなデザインを繰り返していてはいつまでたっても力はつかない。他者の目と手を通して合同で大作を製作することは実に有効。材料集めは大変だが、確実に力がついているのがよくわかる。和と洋の壁を越えて、様々な素材に取り組むこと、そして食の場面とのコラボレートを今後強化したいと思っている。


藤原正彦が「国家の品格」で「論理より情緒、英語より国語、なんとかより武士道・・・」と語っている。ため息がでる。とりわけ「論理より情緒」といわれれば
その「情緒」をずっと否定されてきた私は歯ぎしりしないではいられない。「論理」こそ「知性」であるという時代で教育を受けてきた。しっかり割り切れる、説明説得可能な事象にこそ意味があり、それができることが論理的であり、知性なのだという大方の中で、いつも私は「情緒的」すぎ、「非論理的」であり、「大変おもしろいけれど彼女の関心事は科学的ではない」と非難されつづけた若い日々。学者になる道をあきらめたのも、どれほど私が「非論理的」かを周囲に繰り返されたからだった。農学部にいるときは「農学部なのだから情緒的な文章は書くな」とはっきり言われた。理学部にいるときは「感情的な研究」と非難された。あの時代はなんだったのだろうか。結局文系の大学にたどりついて学位をとったが、その文系の領域で、今度は私はとても「論理的」すぎて「情緒的な部分が欠落している」といわれた。行き場のない人生だわね・・・。

世の中の価値観が変わるのは当然。時代より早すぎたり遅すぎたりうまくいかない。

花の指導も食卓の指導も試行錯誤の結果がそろそろ出てきたと思っている。時代とは関係なく、自分の価値観を信じて周囲のすべてを取捨選択していきたい。その私の価値観を信じてくださる生徒さんのためならどれほどの努力もできる気がしている。


久しぶりに美人事務局長と元麻布の話題のフレンチで食事。美しい料理だった。管理人みのりちゃんは不動産鑑定士の最終試験前なのにレッスン後夜自宅でさらにデザインして写真を即送ってきた。立派。りなちゃんは5時までレッスンしたあと家に帰って、なんとそのあと車で北海道に向かった。ラベンダーを見るためだけにご一家で。美しい家族はやることも素敵・・・。

17日はマキコのバレエ。海外からのすばらしいゲストもどっさりのステージ。だけどケンケンがいるので私はリハーサルを覗くだけで本番は見られない。ま、いいか。今日も獣医さんでケンケンは「しあわせなワンちゃんですね・・」といわれた。そうか、ケンケンは幸せなのか・・・。だったらいいやね、このままで。
猛暑は続く。大学の試験も近い。レポートや採点がどっさり。この暑さ、ケンケンとぴったりよりそっていっしょに乗り切ろう思っている。