時間

madam-cricket2006-04-17

 大学が始まり、新しい日常が始まった。椅子に座って頭だけ動かす時間と、コマねずみのように早回りで家事をする時間が交互に絡まる新しい時間の使い方。ちょっと新鮮。木曜日はコメンテーターだった。TRFさんたちがゲスト。思いのほか腰が低くて素敵だった。金曜日は中学の参観日+PTA。何を着るかで悩む。結局黒。でも学校に着いたとたん、耳にいつものでっかいワッカの耳輪がついていること気がついた。なんとなく居心地悪い。その夜、神の手を持つイタリア帰り外科医と美人編集者というビッグな来客があった。珍しくカブトムシも在宅で夜8時からの食事会は深夜1時半すぎまで。時々料理を盗みに降りてくる次女が「大人が楽しそうだなあ・・・」というほどおしゃべりに花が咲いた。気がつけばワインはほぼ4本あいていた。会話がご馳走だった。
 土曜日はインターナショナルスクールの学芸会。学芸会とはいえキタラのホール。札幌交響楽団の主席バイオリニストがご父兄なので彼女のバイオリンを中心に合唱とダンス、バレエ。次女のお友達が出演。とにかく完成度の高いステージ。珠玉のバイオリンと生徒の歌声にカブトムシと次女ともども感動。ひととき国際色豊かな時間に浸れて幸せだった。そのあと13歳の次女を連れて近くのホテルの最上階のバーへ。前夜は好物のシャンパンとワインだったのにそこではこれまた好物のウイスキー。亡父は毎晩水割り2杯飲むのが日課だった。私も学生時代はウイスキーばかりのんでいた。世の中ウイスキー離れだけれど、これはこれ、やっぱり大人の飲みものである。


 で今夜、義父が料亭復活。Pホテルのなだ万へ。毎月1、2度通っていたのに11月の入院から行けないでいた。立派になだ万へ復帰。私の母とカブトと4人で食事。こう書くと遊んでばかりいるようだがけしてそうではない。コマねずみ状態の労働と並行して遊んでいる。メリハリつけながら己を叱咤激励する時間なのだ。
 そしてケンケンの睡眠時間にあわせての行動。日中は病院に預けられるが、夜は無理。でもそれでは東京へもどこへも行けない。私以外はケンケンにつきっきりではいられない。お試しに土曜日病院に一晩入院させることにした。カブトといっしょにケンケンを連れて行った。だがやっぱり預けられなかった。狭いカゴの中で夜通し吠えるだろう。弱い足で何度も転ぶだろう。誰も起こしてくれなければやっと治った傷がまた悪化する。吠えて暴れれば心臓に負担がかかる。餌も水も自分では無理。獣医さんも夜は責任が持てないという。ケンケン、お家へ帰りましょ。みんなで手分けして絶対にケンケンを一人にしませんから・・・・。ころんだら絶対にだれかが起こしてあげるから・・・。 眠れるまで必ず背中をトントンたたいてあげるから・・。覚悟したこおろぎ。覚悟はしたけれどさてどうやって暮らしていったらいいのだろうか。課題は山積み。ご病人を抱えるご家庭と全く同じ状態。こおろぎの修行は続いている。そして当のケンケンは元気だが歳相応の不調、不具合と闘いながらいる。私たちを頼りきってのケンケン。それが家族ってやつなんだわね。

 仕事をまとめなければならない。ケンケンと寄り添う日々はもしかしたら私にじっとしていろ、という啓示なのかもしれない。目に見えない何かと対話するような日々。これでいいの?これでいいの?と疑問を繰り返す日々。そして酒とバラの日々。大人ってそんなもんなのかもしれない。せっかく大人になったんだからこんな答えのでない日々を楽しむのもいいのかもしれないわね・・・。