madam-cricket2006-03-16

 階段から落ちたこおろぎは生還した。ミキコの処置は正しかった。保冷剤の上に長時間座っていたのもよかったらしい。

 まだ左足は大きく動かしずらいけれど、奇跡的。今日は義父が退院後初めて病院に行った。そのかえり、デパートの食料品売り場で義父は5ヶ月ぶりにお買い物。あっぱれな買いっぷり。お魚たちに一つずつ氷がついて重い。これもうまそう、あれもうまそう・・・とジャガイモにサトイモ、紅あづまというサツマイモにまで買い込んだ。なにもここで買わなくてもなあ・・。でもこの回復に感謝。胃が半分ないのに、その後お蕎麦屋さんで天ざるをぺろりと平らげ、満足気。平和に乾杯。


 一方ケンケン、顔の半分が化膿。預けていたときの怪我の初期手当てが悪かったのだ。私の大嫌いな民間療法だったらしい。「経験的」な治療など治療ではない。預けた獣医さんからの薬を使わず、えたいのしれない塗り薬を使っていた。なんにでも効くという何とかの油を塗ったり、ちょっとアロマ系の知識をもつと、なんでもかんでもなんとかオイルを塗る人たちがいるが、いつかきっとひどい目にあう。なんとか油を妄信して、結局患部を化膿させて1週間入院して血液交換した知人がいる。子供の怪我になんとかオイル塗って、全身に湿疹にひろがって医者にどなられた友人もいる。西洋医学にはそれなりの力がある。素人は素人。どんなに経験があっても、医者でも獣医でもない人間が怪我をした者に手当てなどしてはいけない。

 かわいそうなケンケンは、顔の右が木村拓哉で、左が五木ひろしがなぐられてロッキー顔になった状態。目は腫れすぎて閉じたまま。四肢は力がなくちゃぶ台の足のようにたたまれて、声もでない。化膿した左顔面はどんなに消毒しても薬をつけても膿が出て、途方にくれた私たちだった。今晩が峠・・・そう思うしかないこの何日間だった。排泄も自分でできず、かわいそうでならなかった。春休みになったミキコがいてくれるのでなんとか介護ができている。二人で消毒し、二人でえさを食べさせ、よごれたら片付けるという繰り返し。でも何も好転せず、覚悟するだけだった。

 昨日はHTBのイチオシのコメンテーターの日だった。大きな事件もなく平和な内容で、ほっとしつつも、家に残してきたケンケンが心配だった。昨日こそ、最期の日だと私は覚悟していた。ミキコもそうだった。ぼろ雑巾という表現がぴったりだった。このまま終われば、私は預けた私自身を一生責めなければならなかった。きれいな目をしたケンケンが片目を失い、顔の半面を化膿させ腫れあがらせてその命を終えるのは悔やんでも悔やみきれなかった。再び犬など飼うものか。これまで何度も危篤状態があった。それは神経の発作や心臓の発作だった。だが今度は物理的な苦痛を伴っている。しかもやせこけている。夜中かかえていると涙がとまらない日々だった。


 そのケンケンが今日、首をもちあげた。


 午後、ミキコと悪戦苦闘して薬をつけ、排便させ、シャワーして・・・、とそのあたりからだ。固く閉じていた目が細く細くあいた。小さい声が聞こえ、前足を踏ん張った。首が据わり、きょろきょろしている。こんなことが起こるものだろうか。まだ膿が出ている。だが顔の腫れはひき始めた。抱いたとき、確かに抵抗感がある。もうぼろ雑巾ではない。体に力がよみがえってきた。それは本当に音をたててケンケンの中によみがえってきた。短い時間に、オフからオンに切り替わった。オーロラ姫が目を覚ましたのはこんな感じではなかったろうか。後ろ足がおぼつかないケンケンは私のひざに腰をおろして前足はしっかりついて抗生物質入りのご飯を平らげた。もう最期だと思って買って来た、上等のドッグフードもがっちり完食。家族の夕食の食卓には10日前と同じようにちゃんとすわった。わずか1時間以内の急変である。座布団で囲んだケージの中で一生懸命立とうとしている。もどかしくて吠える。吠えるということなどなかったのに、立派な声である。獣医さんは先天的に心臓が悪いのによくここまでがんばってきたと感嘆した。ケンケンの生命力は美しい。なぜこんなに輝くのだろうか。なぜ疲れ果てた私たち家族全員をひとつにして優しい気持ちにさせてくれるのだろうか。命には意味があるということに違いない。

 写真はミキコの成人の日のキャンドル。16日はこおろぎのママの誕生日。デパートのレディースクラブのマージャンスクールの再年長。日ごろお世話になっている先生たちにおかげさまで80歳でも麻雀に通えますと内祝いのワインを配ろうと考えているらしい。カッコいい!でもママ、ママは80歳ではなく、たぶん82か3ですから・・・。