ケンケン帰る

madam-cricket2006-03-12

 ケンケンが帰ってきた。ケンケンを預けて3日目に学校に電話した。ご飯はたべているか、ウンチはしているか・・。果たして答えは「とっても元気」であった。寂しがっている様子はないかと聞いても「ぜんぜん!」だった。そんなもんかなあ・・・と思いながら、安心して今日まですごした。

 さて当初、私はケンケンの留守中、大掃除と山ほどの仕事を片付ける予定だった。それがどうだ?!ケンケンを預けた夜から不調。疲労困憊。函館までのJRも莫睡。函館のマンションの掃除もやっと。札幌にもどってもソファーに座れば立ち上がれない。目の前の本の山も片付けられない。やむをえない仕事や義父の用事はちゃんとできるのに、予定の作業は全くできなかった。体も痛い。発熱寸前の気配。気力なし。


 あっというまの1週間だった。ケンケンがいなければなんでもできると私は思った。ケンケンがいるから何もできないと思っていた。だが違った。私が何もしないのもできないのもケンケンが理由ではなかった。ケンケンを気にしながら、私は論文を書いたし、教室もやっていた。それがどうだ?「さあ、時間はたっぷり、なんでもおやりなさい」と自由を与えられたとたん、体調不良を理由にだらしない時間を紡いでしまった。

 忙しければ忙しいほど人間は仕事ができる。そのことをまた証明してしまった。学生時代の直接の恩師、昆虫学者の正木進三先生はどんなに多忙でも、英会話のレッスンの時間をつぶさなかった。英語は堪能だったのにスキルアップの努力は惜しまなかった。大学近くに住む同じ大学のイギリス人講師が自宅で開いていた教室だった。英語で聖書も読まなければならず楽な内容ではなかったが、大学院に進んだ私は先生についていっしょに通っていた。だが私はなんとか休もうと理由をみつけては「今日休みます」と先生の部屋に言いに行った。すると「あ、そう」と先生は一言。ご自分はどんな作業をなさっていても夜7時からのレッスンに向かわれた。その後姿を見ては怠けている自分を責め、結局英会話をサボった時間を有効には使えずますます暗い時間をすごしていた。敬愛する日高敏隆先生においては、現在も多忙を極め、ただごとではないスケジュールをかかえて、なお豊かな研究と執筆、そしてバカな昔の教え子の相手もしてくださる。忙しさなど、自己研鑽と向学心にはなんの妨げにもならない。

 私自身の歴史を振り返ってみても、不幸な結婚時代に私は幼い長女を預けてヨーロッパに通った。借金を重ねてでもそのわがままを通した。どんな仕事も断ったことがない。どんなにバッシングされても笑顔で歩けた。父がなくなるときも、離婚したときも、不幸なだけ私はしっかりと歩いていた。40代は博士号取得に使ってしまったが、その日々の苦悩は今思い出しても胃腸がひっくりかえりそうになる。だがその中で二人の娘たちはそれなりに育ち、仕事も充実していた。そんなものなのだ。いつか子育てが終わったら・・・、いつかこの苦しい生活から逃れたら・・・、この介護が終わったら、この仕事が終わったら・・というのは「何かをしない」ことの理由にはなりにくい。子育てを終えたときは絶対に遅い。介護を終えたときはこちらも疲れはてている。今かかえている問題を解決した時はチャンスなどすでに失っている。今やりたいことは今やるべきなのだ。「やりたいこと」とに出会うことはめったにあることではない。そしてそれが「やらなければならないこと」ならば不思議とちゃんとできるのだ。

 ということに気づいた今日、ケンケンが帰ってきた。迎えに行くとぐっすり眠っていた。学校の方々は本当に元気だったとおっしゃるが、しかし、ケンケンはすっかりやせていた。あちこちにぶつかったからだというが、口を2箇所怪我。ほほの毛の一部がはげている。長女の腕の中でぐったりと眠っている様子に愕然とした。家にもどって短時間目を覚ましたケンケンは歩けない。1週間前は確かに歩いていたのに、何歩か歩いたら倒れる。吠えない。彼は預けられていた間、必死にがんばっていた違いない。ちゃんと歩き、ちゃんとご飯食べ、老犬らしく威厳をもっていたのだろう。我家にもどったケンケンは骨ばった体を横たえ、ときどき目をあいては見えない目で私を見つめてはまた目を閉じる。ケンケンがいるのに静かな夜。


 どっさりサプリメントを飲むことを薦められた。サプリメント嫌いの私だがケンケンのために天地がひっくり返るほ高価なサプリメントを買うことにした。人間用のサプリメントだという。健康はビタミン、コラーゲン、コンドロイチン、抗酸化なんとか・・・などのサプリメントで得られるものではない。ちゃんと食べることと、心豊かな環境でちゃんと食べること、そして安心して眠ることと、運動すること。ぶっかけごはんを食べて野山をかけまわっていたケンケンの元気なころを思い出す。あの手この手で健康を買う現実に、食生活論を教える身として大きな疑問があるが、それは今後の研究のテーマにしていきたい。このサプリ嫌い私がケンケンのためにどっさり買ったけれど・・。ママといっしょに私も飲んでみるか・・・。


 今この疲れ果てたケンケンにはどんなサプリメントも効果はないだろう。1週間前のように自力で立ち上がり、いっしょに食卓に並び、わがまま三昧にもどったら、「どうしようもない老犬ケンケン」を家族でののしりながら、「高いのよ!」と恩を売りながらサプリメントを与えよう。疲労困憊し、傷だらけになり、おしっこくさいケンケン。よごれたら日に2度もシャワーさせていたケンケンなのに、おしっこくさくよごれている・・。かわいそうでならない。立ち上がらないケンケンを必ずまたわがままなケンケンにもどしてみせる。


 そしてふたたびケンケンに束縛された日々が始まったら、きっと私もまたパワーアップするに違いない。私に暇など与えてはならない。私に休息など与えてはならない。写真は何年か前の札幌のレッスン。こんなレッスンも大忙しの中で展開していたのだ。

 ケンケンはそれでもつかの間目を覚ましたとき、ドッグフードに白ご飯とすね肉のシチューを混ぜてやったらあきれるほどがつがつ食べた。鼻の頭にご飯粒をつけ、きれいに平らげた。まだまだいけるぞケンケン。貪欲に生きろ!泣き虫こおろぎをまた悩ませておくれ・・・。