2005年・クリスマス

 札幌は雪。こおろぎは元気。

 今月は1日と8日が自宅、3日が広島、11日はグランドハイアット東京、12日は恵比寿のウエスティン、15日は札幌トラットリアリデーレ、20日は札幌ル・バエレンタル、22日がパークホテルの中華料理。このあと授業は28日夜で授業が終り。並べてみると大忙しに見えるが、不思議と今年は大騒ぎの12月ではなかった。どこも楽しかった。生徒さんとの時間が私のエネルギーになった。


 手術そのものは大成功だったのに、肺に問題があって義父はその後5日間眠り続けた。人工呼吸機をつけたまま眠りから覚めた義父は本当に苦しそうだった。意識も朦朧としていた。呼吸機をはずしたら声も細くて聞きとれない。かろうじて聞えても意味不明。このまま認知症になりそうで私は慌てた。手術後はよくあることだという。とりわけ長い間眠らされていたから簡単には覚醒しないとのこと。だがいくら言われても私は不安だった。それが1つずつ機械と管がはずされるにつれて、義父は少しずつだが確実にいろいろなことを思い出し始めた。そのプロセスは実に感動的。おとといより昨日、昨日より今日、口調もはっきりしてきたし話す内容もしっかりしてきた。ところどころ戻らない記憶もあるようだがこれも時間の問題らしい。奇跡は起こった。義父は健康をとりもどして私たち家族のもとに帰ってくる。ゆっくり待とうと思う。

 だがそれにしてもである。朦朧とした義父は「きみちゃん」という女性の名前を何度も口にする。今日、木下きみこさんというフルネームが明らかになったが、さて「お父様、きみこさんってどちらの方?」と聞いてもそこのところは朦朧。これが麻酔か麻薬か、こわいわ、こわいわ。カブトムシは怯える。彼はとんでもないことを叫びそうだと怯える。気持はわかるわ。DNAの塩基配列や雄雌決定要因についてなんか口走るはずがない。猛烈に卑猥な発言を続けて看護師さんに猿轡されるかも。ああ情けない。と言う私ももちろん不安。数々の悪事を乗り越えてしまった私、悪行がたたって悪夢三昧に違いない。うわごとで何を叫ぶか心配なので断然健康管理にいそしむことにした。おお怖っ。


 そんなこんなのこおろぎさん家のクリスマスは?と言えば、久しぶりに4人そろった。塾講師と実演販売のバイトに加え、居酒屋さんで真夜中まで働きはじめた長女も24日はフリー。日頃罵り合い憎しみあっている妹とも妙に仲が良い。もし義父が開腹の結果おもわしくなかったら、私たちにこんなしずかなクリスマスイブなどなかった。カブトムシも久しぶりにホッとした様子。4人で食事にでかけた先はいつものエスニック。いやあ食べましたわ。若者しかいないお店にカブトと私の異様な姿。胃腸に火がつきそうな辛さのタイ料理とメキシカンで満足したのに、大学生生活満喫状態の長女の「さて二次会は?!」という声につられてこちらも学生気分になってうっかりもう1軒ということになった。そこがドアホな家族、ふたたびエスニック。スパイシー料理をさらに続けて揚げバナナで〆。大腸も小腸もヒリヒリ状態。それで家に帰ればいいものを、「さてお次はカラオケですか」とまた乗せられた。カラオケ嫌いのカブトと私があろうことかbusaiku sisters にのせられた。カブトと私がカラオケにいっしょに行ったのは初めてだった。驚いたわ、カブトったら上手なのよ。オペラ歌手だとウソついたらみんながホントにするほどデッカイ上半身。無駄に太ってはいなかったのね。学者にしておくのはもったいないかも。いきなり私と銀座の恋の物語。あららいいじゃないの中年カップル。その後カブトったら日頃あれほどカラオケ族を軽蔑してるくせに「夜の銀狐」など続々。わが家の下流化は加速中。エスニック三昧とワイン飲み過ぎのドアホ夫婦とノリノリsistersは夜の更けるのも忘れて束の間のひとときを過ごしたのでした。一夜明けた今日25日、こおろぎはき、き、気持悪いのなんのって。食べ過ぎ飲み過ぎ歌い過ぎ。論文どころではない。大反省。今年も残すところちょっぴり。こおろぎの誕生日も近い。誕生日はやっぱり…エスニックでしょ?