長い夜

madam-cricket2005-12-16

 12月の東京教室は六本木ヒルズグランドハイアットの中華料理。雪で飛行機が2時間遅れてこおろぎは遅刻してしまった。毎年必ず雪が降るんだから強力な除雪機って開発されないもんかしら。

 予想通りグランドハイアットはよかった。ホスピタリティーは最高。タクシーで駆けつけた私にドアマンの笑顔。チャイナルームまで大荷物を運ぶ際のさりげない会話とテンポ、フレンドリーさ。田舎モンのこおろぎは感動。レストランのサービスは最高のタイミング、マネージャーの女性の品のよさ…。全員が満足した。


 夜はスタッフ会議。場所はこおろぎお気に入りのモダン韓国料理店。前回はお相撲たちがあやしい風俗のおねえちゃんたちとデートしてた。微妙な空気が揺れてたっけなあ。とにかく芸能人も多い美味しいお店。今回から強力なブレインが加わった。東京在住のN君。十数年前、S百貨店のカルチャースクールを立ち上げるために札幌に来たN君は当時元気よく仕事をしていた私を百貨店に繋ぎ、私はN君といっしょにそのスクールの企画運営に携わった。大変な仕事だったが手応えのある日々だった。その後彼は東京にもどって活躍。この間ずっとこおろぎを見守ってくれていた。ちょっと時間に余裕がもてるようになった彼は、こおろぎ組の運営に知恵と力を貸してくれようと申し出てくれた。今後、ホームページを含む様々な状況が改善されると思う。遠方の生徒さんにも学ぶ機会が増えるかもしれないし、セレクトショップも開店するかも…。テキスト製作等も進みそう。管理人みのりちゃんと事務局長美加ちゃんと3人タックル組んでくれればこわいのモノはない。鬼に金棒、こおろぎにブレインである。ご期待ください。


 義父は16日手術予定。祈るのみ。


 心配事も多かった夕べ、ケンケンの様子が急変。ぐったりして全く歩けなくなった。午前4時半までケンケンを抱いていた。私の腕の中で次第に呼吸が浅くなり、脈が弱くなっていった。体温も下がり、視線も定まらず、それはもうケンケンとの別れの時が来たと思わざるをえない状態だった。身体は妙に軽くなっていた。朝5時、ケンケンを私の蒲団に連れて行った。ケンケンはぐったり横になり、それでも時折頭をあげて私がいることを確かめた。前夜私の留守中、ケンケンは長時間大声で吠えて暴れたという。困った母がミルクをやると一気に飲み干し、その後様子がおかしくなったという。ケンケンは家族のみんなを探していたに違いないと母は泣いた。再婚してミキコと私が広島に転居した後、ケンケンは大きな1軒家に住む母を守ってきた。立派な番犬だった。お手もおすわりもできない駄犬だが彼は立派に母を守ってきた。ケンケンが14歳になったとき、雪の多い藻岩山中腹の家で冬を過ごすことはできないと判断した私たちは当時住んでいた函館につれていくことにした。家で飼えるように、ケンケンは14歳にしてドッグスクールに入学。その後4年間、ケンケンは私たちといっしょに何度も飛行機に乗り、旅もした。そのケンケンが動かない。朝、起きたマキコは動かないケンケンを見て泣き崩れた。「これがペットを飼うということなのよ」といいながら、覚悟していた時の到来で私の声も途切れた。「一生懸命生きたんだから、もう楽させてやろうね」「マキコもちゃんと生きようね…。」医学生には貴重な瞬間なのにミキコは大学で徹夜。カブトは函館。さみしい時間だった。蒲団の中で小さく息をするケンケンを残して私は部屋を出た。泣きはらした目で学校に行ったマキコ、そして私も今日は大学とカルチャースクール、義父の病院。ケンケンはそっとそのままにして私は仕事の準備を始めた。いくら化粧をしても涙でくずれた。時間も空間も止まったような朝だった。ケンケンの声のない朝は何年振りか。ケンケンはいつも私たち家族といっしょだった。それが動かない…。


 それから30分ほどたったころだったか。いつもの足音が聞えてきた。ケンケンの爪の音である。母が部屋をのぞきケンケンに別れの声をかけたとたん、立ち上がったという。奇跡としかいいようがない。四肢に力など全くなかったのに。関節の総てが機能していなかったのに。そのケンケンが母の声で立ちあがった。ゆっくり歩いている。半信半疑で抱き上げていつもの朝のように外に連れて出てそっと雪道におろしてやったらしっかりと立ち、元気よく黄色いオシッコをした。その後いつものようにご飯を食べ、次第に体温を上げ、呼吸も普通にもどった。奇跡の犬である。奇跡とかしか言えない。驚異である。危篤と聴いて大学からとんで帰った長女も驚いた様子。ケンケンは今、いつもの夜のようにスヤスヤ私の寝室のドアの前で眠っている。
だが、この時間は永遠には続かない。私はすでにケンケンに別れを告げた。彼もまた私の気持を受け取ったに違いない。おまけの時間が私たちに与えられたのだと思う。ケンケンが生き続けるにはきっと意味があるのだろう。そしてそれを私たち家族が見守ることにもまた意味があるに違いない。
夕べは長い夜だった。あの涙はなんだったのだろうか?1リットルどころではない重い涙が溢れた夜だった。


 ケンケンの魂の輝きをこおろぎ組に贈りましょう。キラキラしたケンケンの生命力をこおろぎ組みんなに贈ります!今夜もまた番犬らしく夜回りした気分でスヤスヤ眠るカッコイイ18歳のケンケンにどうぞエールを!