パーティー物語Ⅲ

 23日、こおろぎんちのぶさいくシスターズ二女のバレエの発表会があった。創立55周年ですってよ。55周年。20年で喜んでいる場合じゃないわ。あと35年たったらこおろぎは・・・ど、ど、どんなになってるでのしょう・・。羽根も触角もボロボロの破れこおろぎになっている・・はずないでしょ。老いてマスマス周囲に御迷惑かけながら「55周年よ、みのりちゃん、みかちゃん、あさよちゃん!おーい広島あ!東京お!神戸え!全員集合!」と叫んでいるにちがいない。みなさん人生は125年ありますからね。

 バレエのお話は後日あらためることにしてその翌日の24日、今度は二女、朝から合唱コンクール。たかが中学校の合唱コンクールなのに札幌にキタラあり、といわれる大ホールを借りての大イベント。いの1番で伴奏。彼女の精神力に乾杯だわ。

 その24日、こおろぎは久しぶりに戦闘モードに入った。お昼ごはんに出向いたのはホテルA。ムッシュSのホテルの隣り。浮気をして隣のちょいと若いホテルの二十四階の和食へ母と行ってみた。眺望はいい。当たり前か。お料理にコメントする以前にトラブル発生。まず同時に2品ずつ私と母の前に並んだ。ところが向かえあって座っている私と母が鏡状態。つまりお料理の右左が母と私では違う。これは大問題。心地が悪い。同時に2品並ぶとしても順番があろう。どうでもよいサービスとみた。さらにどのサービスも器に親指がはいっている。ならべ方を質問したら不機嫌に直された。げんなり。支払いの時、支配人風の方が何かと話かけてきたので黙ってきいていたら、近く改装するのでぜひまた、と御丁寧なお誘い。思わずお料理の順番に全く配慮がないこと、器の持ち方、指が入っていること、目の前を横切ってのサービス、右左どこからでもいきなり手を出す危険、デザートのフォークの置き場所その他もろもろどっさり申し上げた。自信満々の彼は可哀相だったけれど、どんな眺望があろうと改装しようと、あんなサービスではぜんぜんだめ。器も奇をてらって失敗。食べずらい上、品位がない。「まあおもしろい!」とか「かわいい!」という感嘆は和食には絶対にいらない。「失礼ですがお名前を・・・」という問いかけに、小心者のこおろぎは「名乗るほどの者ではなくって・・・旅のモンです・・・」といいつつも「北海道文教大学函館短期大学で食空間論などを教えておりますウ・・・」とだけ小さい声でうつむきながら言ったのでした。ただのイチャモンオバサンだと思われては心外ですもんね。御丁寧に見送っていただいたけど、なんだかなあ・・・。やっぱりムッシュのホテルが安心だわ。

 その夜、今度は宅配便のY運輸と電話で大激論。内容は日本の運輸、運送業界を揺るがすほどの大テーマ・・かなあ。たかが指定の時間に宿泊ホテルに荷物が届かなかったというだけなのだけれど、ホテル気付け、○○日宿泊のだれそれ、と書くと、その荷物は時間指定などうけないのが当然だという答えが返ってきたから激怒した。サービスセンターのオネエサンではラチがあかず、上のだれそれに代わり、さらに上司のだれそれさんに回った電話だったが、だんだん話題が大きくなってサービスの本来の形とか、サービス業の権利と義務とか、慣例とはなにか、習慣的とはなにか、という大問題を論じることになった。「通常は」とか「普通は」とか「原則として」という言葉に納得できず、己のドアホな理論に次第に酔いはじめたこおろぎは・・・たぶん10日のパーティーの後始末やらその後のバレエのゲネプロ、本番、合唱コンクール等でかなり疲れてたんだわ・・・・エスカレートする一方。結局、おなかがすいたこおろぎの方が「この続きは後日かならずまた!」と言ってひとまず終結した。Y運輸のOさん、これで逃れたと思わないでね。夕べはこおろぎは本当におなかがすいて小休止しただけのこと。簡単には語れない大問題が隠れているのよ・・。いざ覚悟を。電話を切る頃にはちょっと議論に飽きちゃったこおろぎだったのだけど切る時、電話の向こう側で「荒井さまア〜お許し下さいませエ〜」というOさんの悲痛な声が聞えていた。ちょっぴりお気の毒だった。

 で、その翌日の今日は郵便局で事件勃発。ゆくえ知れずになった私宛の荷物を探して局長代理のTさんがお詫びに見えた。彼はあまりに怯えて私に荷物を渡したため、受け取りのサインをした紙を我家の玄関に忘れて帰った。30分後再び我家の玄関に立ったTさんは真っ青だった。私はたしかにY郵便局でいくつかの質問をした。だが怒鳴ったわけでも叫んだわけでもない。ただ質問をしただけだ。なのになぜTさんはあんなに怯え、真っ青だったのだろうか。私の何が悪いのだろうか・・・・。と考えて私は一人の男性を思いだした。

 私の人生を大きく変えた男性である。日高敏隆という。私が昆虫学を学ぶきっかけを作り、その後ずっと傍にいてくださる。元京都大学の教授。動物行動学を日本に紹介した大先生である。京大退官後、滋賀県立大学の学長をつとめられ、今は地球環境学研究所とかなんとか難しいところの所長。毎日ファックスやメールのプリントが紙袋に幾つもたまり、秘書さんが何人いても片付かないお仕事を抱えている。なかなかお会いできない。この先生に昨年だったかお会いした時、腹のたつことばっかりなのよ、といくつか憤ることをお喋りしたら「だめだなあ、大人になれよ」とひとこと。相手が怒っているときはとにかく謝ればいいんだよ、とおっしゃった。「スンマセン」と口先で言っておきゃ納まるよ、とのこと。これが動物行動学者の言うことか?とおもいつつ、だから先生は誰からも好かれ、多くの弟子が育ち、人をまとめていけるのだと痛感した。もめごとさえなければそれだけストレスはない。その分仕事ができるわけだ。そしてどんなに忙しくてもお酒飲む時間は必ず持つ。どんなに体に悪くてもハイライトを喫い続ける。きれいな女性がいたら必ず声をかける・・・。新しい本を読んだか、これを書いたかと会えば刺激してくださる。だが、その先生にはしばらく会うことができないでいた。

 その私の理想の男性が20周年記念パーティーの会場のスクリーンに突然登場した。サプライズギフトであった。いつ、どこでだれがどうやってビデオを撮ることが可能だったのだろうか・・・。

 鬼のこおろぎの目に涙・・・。そして驚いたことにこおろぎより先に小さな声をあげて泣き出したのは20歳の長女だった。私の人生に巻き込まれて生きてきた彼女は母の人生の節目節目にいつも日高先生の数しれない御本とお手紙、お電話などの支えがあり、博士号の学位の審査にも加わってくださったことを知っている。そして今誰よりも会いたい人であることも知っていたのだ。

 イイトシをしてあちこちで喧嘩売ってる場合じゃないわ・・・。
 こんな素敵なギフトを私にくれたこおろぎ組のブレインたちの暖かい気持と努力を次回は書こうと思う。