考えるこおろぎ

 3日間の缶詰撮影が終った。9月2日発売ですって。ワクワク。でもタイトルもまだ
ないらしいわ。

 次ぎから次ぎにできあがる料理、しかも初めて見るゼリー食というバットに固められていたり、しぼり出し器にはいっていたりするものをレイアウトする作業は本当に緊張した。こおろぎにも未知の世界があった。けれども引越し荷物のような食器を運び込んでいたため、カメラマンを待たせることなく撮影を進めることができた。初めて見る料理に器やクロスなどを一瞬で合わせる作業を繰り返していると、この20年間はまさにこの時のための修行だったような気持になって途中でちょっと胸がいっぱいになった。まようことなく食器の選択が瞬間にできた。5浪でめざす大学にやっと入ったような感じかもね。その場でパソコンで写真を確認するのだけれど、カメラマンも私の趣味が理解できたようでどれもゼリー食には見えないカッコいい写真・・・。でもここに問題があったかもしれない。現場の老人ホームにはそんな手間や食器は不可能なわけで、「シンプルに」「もっと普通に」とのリクエスト。「普通って・・・・?」「おしゃれすぎないように・・・って?」凍りついたこおろぎであった。

 かつて川久保怜はコムデギャルソンをたちあげた。パリにその名をとどろかせたとき、そのデザインは賛否両極端であった。あれは現実の洋服か・・・という大議論があったことを思い出した。現実にありそうなモノ、あるいは現実そのまま・・のショーなど誰が見るか。今回の撮影も現実感あふれる老人食ではないイメージに、という依頼だった。ふと思った。通販のカタログはみんな外人のオネエさんとオニイさんなのはなぜか。あれが3頭身のおっさんやカバゴジラやミニラみたいなオバさんがモデルならばいかに現実感があっても誰も買わない。

 それにしても考え込んだ。私がやっている作業は何なのだろうか。誰もそんなことしないわ・・・というほどとんでもないことをしているわけではない。ミントの葉を選び、コースターを選び、100円ショップのクロスとスプーンも何箇所にも登場している。それだけのことなのにやり過ぎだと言われるのはなぜだったのだろうか。素敵すぎると言われてもうれしくもなんともない。素敵というのはこの場合「なに気取ってるの」とか「クドイのよ」とか「コテコテ」とかいう響き。コムサの雑貨の105円のブルーの水玉のクロスに同じく105円のブルーのグラスと透明のプリンカップにブルーハワイのゼリーを入れただけでもヤリスギといわれれば手は止まる。私は「普通」がわからない。もっとも、もう手に入らないような器や江戸末期の鉢や作家モノも登場させてはいるけれど、今私は「普通」がわからない。がしかし、大方の支持を得、編集者とカメラマンには上手にあおられたりおだてられたりしながら撮影は無事に終った。書ききれないほどのことを学んだ。エコール・ド・フルールの授業に生かしていきたいと思っている。

 修行修行、人生修練の日々だと痛感。3日間が終ったけれど明日18日は朝6時15分に家を出てANAで函館へ。引越しの準備をしてJRの最終で札幌にもどる。火曜日は仕事+二女の学校+ポーランドからの来客のおもてなし、水曜日は大学で木曜日は授業のあとまたANAで広島へ。その夜は猛烈に美味しいお好み焼き屋さんでひとりでビールとネギ焼き。この時間がたぶん今週の唯一の私のオフタイムかもしれない。金曜日は朝から広島で3レッスンして土曜日に札幌にもどるがすぐ日曜日に函館に行き、次ぎの月曜日にとうとうお引越しの第1段。でその翌日から4日間函館短大で集中講義をしながら引越し荷物を片付けながら、札幌への第2段のお引越し準備だとさ。誰か手か足か力かお金を貸してくれたくありませんか・・・。

修行修行。こおろぎは修行あるのみ。きっと前世でよほど楽をしたのかもしれない。だからこんな風に追われるように暮してるのかもね。今日は3ヶ月も前に、若人おしのけてプレイガイドでやっとゲッとしたお笑いライブの日だったのにジュニアたちと行けなかった。残念無念。これも修行。後世は楽できるかもね・・・。