演出以前


5月になりました。

どんどん考えるべきことが増え、
身動きが難しくなりつつあります。

が、
動物は動くイキモノ。
頭も動かし、心も動かし、
ドキドキワクワクしながら
進むしかありません。


かつて何度も
こおろぎは挫折し
絶望し
絶体絶命状態を経験しました。


でも

なぜか
夜は明け
雨はやみ
道が開けてきました。


「雨にも負けて
風にも負けて
そのどこが悪い?」


と言うのが持論になったのは

がんばってもダメなものは沢山あり、
がんばれといわれることの辛さが、痛いほどわかり、

がんばらなくても四季はめぐり
人は立ち直ることを
生物学的に信じることができるようになったからです。


今回の震災を
少しずつ冷静に概観できるようになり、
こおろぎは
人間が培ってしまった文化の重さを
痛感しています。


モノ文化の浸透と
科学技術の進歩至上主義、
哲学と生物学の知識不足

大きな大きな反省点が
沢山ありそうな気がします。


しかしながら


それが人間なのであって


過去の記憶があればこそ
生きてこれたのであって


子どもの小さかった頃の靴や
アルバムが
なにより大切だったりする。


哀しいほどの
記憶

これが
次の一歩を歩みだすエネルギーなのだと


有機物や
クエン酸回路や
DNAだけでは
人間は生きていけないということを


あらためて知ったのです。


さて

文化と伝統
その重さ、

人間とはなにか、


という
そこのところを
考える機会を得て

仕事が変わりそうです。



生物学と生活美学を
織り交ぜて考えていくお教室作りを
進めたいと思います。


なぜ
包む文化が進んだのか
なぜ
無駄にも思える水引が必要なのか
なぜ
敬語や謙譲語が必要なのか


なぜハレ着や喪服が必要なのか・・・





被災地に
大量の喪服が送り込まれていたのをテレビで観たとき、
こおろぎは、息がつまりました。


周囲の人を見送るとき
着る洋服がなかったのが辛かったという情報を見た
メーカーが届けたようです。

受け取った人たちの
これで安心だ」という言葉もまた
切ないものでした。


こんな非常時でも
喪服を着ようと思う意識、
もっと必要なものがあるだろうと思うけれど


最初に手にしたものが
喪服であることも含めて

冠婚葬祭や
人とのつながりを
優先させてきた人々の
哀しさが見えて


なにかを考えなおしてみようと思ったのでした。





たとえば

こんな器

「なくてもいい」器です。

こんなに明るくなくてもよかった
こんなに速くなくてもよかったし
こんなに便利でなくてもよかった


そんなものばかりに囲まれて私たちは暮らしています。


明るさは文化の証しだったし
速さは技術の証しでした。


冷房も暖房も
文明の利器でした。


さて
「なくてもいい」ものを
手放せますか・・・

「持ってしまったもの」を
手放せますか・・・


「なくてもいいもの」を
なぜ
手に入れたのですか・・・


人間はそんなイキモノなのだということが

哀しくもまた
素晴らしくも思えるのです。


2011年も5月。


相変わらずのこおろぎですが
なにかが変わったのは事実。


北国もそろそろさくらが咲きます。

どんなときにもさくらが咲く。
残酷なまでに美しく咲くさくら。


美しいさくらの花そのものにではなく


さくらが咲く仕組みに感動して
かんがえるこおろぎでいたいと思います。


こおろぎ組に
素敵な5月を!