春近し

madam-cricket2006-03-22

 胡蝶蘭を使ったギフトアレンジメントのコンペが終わった。今年は我が教室は賞を逃したが、こおろぎの右腕デザイナー、大野あさよちゃん率いるニューオータニのデザイン室が昨年同様に準グランプリと優秀賞を受賞。実力。卒業をテーマにした力作だった。グランプリは最近こおろぎが注目してるフローラル若林の若様だった。やっぱり・・・。圧巻だった。
添付した3作品は今回出品した3人の作品。作風は類似している。胡蝶蘭を「面」としてとらえ、蘭の曲線より、全体の色彩を重視した。類似しているが三者三様。もてる技術を充分に発揮した。エコール・ド・フルールの色を見よ!宝石箱のような色彩だった。プロの技には遠く及ばないものはあるが、イメージも企画も立派。誇りに思う。大野あさよ組に拍手。グループ同門として心からうれしい。拍手!

 ケンケンの頬の傷は予想以上にひどく、4日前から札幌に戻っているカブトムシと毎日病院に連れて行っているが、そのつどこちらは卒倒しそうになる。カブトムシは痛みに耐えるケンケンを押さえながら「動物は強いなあ」と繰り返すばかり。
治療以前の段階。前途は多難。出費もかさんで時間もなく、こおろぎ一家はケンケンの回復に全力を尽くしています。
でも、日々私たちはちゃっかり優しくなっている。鬼にも蛇にもなりそうなほど心身ともに最悪の状態のこおろぎもケンケンには猫なで声。犬嫌いだったはずのカブトムシも今や、ケンケンがやっと寝入るとお布団にいれていっしょに寝ている。不良道まっしぐらの長女も、ノーテンキな次女も、家事手伝いには非協力的なのに、ケンケンの声をきいたらどんで行く。家族一同ケンケンのわがままはすべて許そうと思っている。14年間、寒く雪の多い山の上の家で、家族を守って吠え続けてきたのだ。その後室内に入って4年。立ち上がれないなど、あちこち不自由になって1年、こんどはケンケンが助けを求めて吠えているのだから、私たちができることはなんでもしよう。よくなるはずのない老化だが、しかしケンケンは不思議と回復しつつある。傷は傷。それとは別に全身は確実に回復している。全く立てなくなったのに今も歩いている。見えないはずの目なのに、私の冷静な実験結果によるとやっぱり多少は見えている。耳も下手なピアノを聴かせ続けたら強く反応するようになった。サプリメントの効果かしら。運動の効果かしら。私の仕事のときは獣医さんに預かっていただくことになった。みんなが応援してくだる。ありがたい。明日は三角山放送の日。預けてから局に行く。

 命ってねえ・・・、どうやら「在る」ことに意味があるのじゃないかしら。
どんなに非生産的存在でも、無駄に思えても、役に立たなくても、足をひっぱっても、それでも「在って」ほしい・・と思うもの。それが命ってやつかも。ケンケンのぬくもりをかかえているとき、そう思うのよ・・・。


 春から生命科学も教える。生命とは何か、ということを半年間250名ほどの学生といっしょに考えるのだが、この「老い」を生きるケンケンから私はどっさり学んでいるのじゃないかしら。
関節のあちこちに傷があり、打撲もある。毛もはげている。でもケンケンはちゃんと生きている。大きな目を見開いて一生懸命歩いている。かつての番犬は小さい音にも反応して立ち上がろうとする。体調がよいとせっせとテリトリーを巡回。カッコいいのだ。実にカッコいい。こんな風に老いたい。ぼろぼろだろうが、なんだろうが、かっこよく。

 明日からまた闘い。かつて保育園に娘たちを預けた頃のころのようにケンケンを預けて仕事にでる。ケンケンの重みは小さい娘たちを思い出す。巣立った娘たちはあぶなっかしい歩みだが見守ろう。かあさんは忙しい。自分育てが完結しないのだ。これから。なにもかもこれから。この未完成感というか、不満足感というか、充実不足こそエネルギーなのよ・・・。