如月

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2月1日の午前1時すぎ、ケンケンが逝った。その2月が終わる。あっというまの一ヶ月だった。
今年の2月を忘れない。私の再生の月にもなった。


ケンケンは間違いなくあの日、私の腕のなかで 「かあさん、ありがとう」と言った。このあいだキキに「ねえ、ありがと、ってケンケンいったよね」と聞いたら彼女は静かにただ涙を流して、「言ったと思う。聞こえた」と言った。
不思議でならないのだけれど、私とキキは確かに聞いたのだ。


痩せた老犬が最後の力で私たちに別れを告げたあの瞬間、私は何かから完全に解き放たれてしまった。「かあさん、ありがとう」と言ったあと、こんどはボクがかあさんの時間を守るからね、と続いたのではないだろうか。

ケンケンが逝ってからわが家には花があふれている。ケンケンに贈られた花たちはなぜかなかなか枯れない。アトリエの温度がいいからだろうが、何度も何度も活け変えている。新しい花の形のアイディアや、レッスン方法、料理のレシピが次々に浮かぶ。ケンケンからもらった時間と力のような気がしてならない。


3日に届いたアレンジメントの葉とラナンキュラス、シキミア、胡蝶蘭がまだそのままある。9日にいただいたチューリップはまるで化石のようにしっかりとたっている。どうなっているのだろうか。


雛祭りのレッスンが昨日、今日で終わった。小さな料理を作るのは楽しい。
最後に盛り付ける楽しさは比類ない。同じものをつくり、花をいけても3クラス、それぞれ違う。実におもしろい。


岩波ホール高野悦子さんの番組を見た。素敵な女性である。塩野七海、高野悦子、「スタイル」のある、そして崇高な品格のある人間づくりをめざした教室を作りたい。花と料理の教室ではあるが、やはり「暮らし」なのだ。「生活」を広く概観しながら衣食住の美学を探す教室を21年前、目指したはずだった。


「ままごと」も、花のデザインもその一角を占めている。欲張って器のこと、布のこと、お酒のこと、栄養のこと、着ること、体のこと健康のこと・・美容のこと、エコール・ド・フルールの目指すところはそこにある。かつて「ワンランクアップ」といって浮き足立っておだてられた流れにはついに同調できなかった。
「ワンランクアップ」の「ワンランク」とはなんだったのだろうか。何を卑下し、なににコンプレックスをもち、何を目指したのだろうか。

身の丈の、等身大の生活空間にある「美」と「感動」をしっかり見る目があれよいのではないだろうか。


著名な洋菓子研究家が「ティースプーンの置き方は以前は手前に置きましたが、最近は欧米では横に縦におきますのよ」と言っていた。ふっざけんなよー。


そもそも欧米ではスプーンの置き方などにこだわっていない。20年前から何度、何箇所で観察し、質問もし、そのつど、いかにその質問が愚問か感じてきた。


アフタヌーンティーに三段重ねのケーキ皿を使っている家庭が世界中にどれほどあるだろうか。たぶん、日本が一番おおいかもしれない。テーブルセッティングに関心のある日本のマダムの家には必ずある。確かにイギリスもアメリカも気軽に紅茶を飲む。だがそれを学ぶことの意味などない。諸外国は日本のティーセレモニーを高く評価してくれるが、だからといってそれを暮らしに取り入れようとはしない。最近、また久しぶりに紅茶の入れ方を聞かれてうんざりした。
「おいしかったらいいんじゃないかしら」と答えると大変不満そうで、
「正しい入れ方が習いたい」という。世の中にはどっさり紅茶の先生がいらしゃるのでそちらにいかれたらいいでしょう、と答えておいた。紅茶中毒の私だが、ティーバッグで美味しくいただいている。葉っぱももちろん使うが、濃ければお湯を足し、薄ければ葉っぱを足す。それだけのことだ。


私の仕事はたぶん、エスカレートする「正しさ探し」を冷静に眺めながら、「普通の暮らし」の「楽しさ+美しさ探し」に限られるだろう。今回書いた論文にも書いたことだが、作法は正誤の問題ではなく、美醜の問題なのである。時間と空間が変われば、作法など変わる。違う空間や時間の作法を「知る」ことは意味があるが、それを「正しい」こととしてまねることには全く意味がない。知った上で、さて「私の時間と空間ではどうしましょう?」という課題に取り組むこたが必要なのだ。


さ、明日は三角山放送局。ちょっとの間お手伝いするだけのお約束だったが、もう少し続くようだ。どんな曲を選んでくれているかしら。


天使になったケンケンが見ている。家族はそんな気持ちですごしている。
キキが「一日に10回くらい、ケンケンが逝ったときのことがフラッシュバックする」と言った。あの日から1ヶ月がたつ。家族一同なぜか病院通いがスタートした。不思議だがカブトムシも、ママも、私も、シスターズもほんのちょっと不調でも病院に行く気分になり、検査したり、治療をうけたり。これもまたケンケンパワーのなせる業か。エンジェルケンケンに感謝!ケンケンはやっぱり私たちの家族。これからもエンジェルケンケンの写真を登場させよう。